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INTELLIGENCE

+ 小柄と笄について〜その1

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

小道具の世界は判らないことが殆どでありますが、小柄(小刀と共に)というものが何故、拵に装着されているのか、笄というものが何の役目をするものなのかという事を、案外、理解していない方も多いようです。

例えば、小柄は手裏剣ではありません。江戸時代でいうと、武士は平和時は役人であって、戦時は軍人となります。平和時の武士は必ず、城中か役所で執務をしますが、その時に巻紙を切ったり、コヨリを切ったりする雑務に使用するのですから。脇指拵には必ずといって良い程、装着しています。また、刀(大小の大)は城や役所の控え室などに置いて、城中や役所内では脇指のみを指します。大刀を手に持って廊下を行き交うテレビや映画がありますが、完全に間違いです。したがって、大に小柄や笄が装着された例は多分かなり少ないはずです。しかし、常時武士の腹に指す脇指には小柄は必需品であったと考えられます。自宅で指すケースの拵は別であるから、無いのもあると考えるべきです。

では笄はどうでしょうか。小柄は脇指拵には必須に近く、笄と両方装着されているのは多くはありませんが、大の方にも装着されているケースよりはかなり多く見かけるように思われます。

 

さて、私は小柄も笄も古いものが好みで、年来その製作年代の解明、分析に気をつけているのですが、おそらく、決定的な結論は金属の非破壊検査で決定されると考えています。早くその時代が到来することを願ってやみません。しかし、今はそうは言ってばかりはいられません。なんとか小柄と笄の大体でもいいから製作年代を探れないかと思い、今までに考えられる点を述べてみたいと思います。

 

まず小柄から話を進めると、古い小柄を表面的にどこを見るのかということになります。室町期の小柄は、俗に片手巻(かたてまき・一枚張〈いちまいばり〉)と称されて、小柄全体が一枚の板状のもので出来ているとされ、それを折り曲げて作ります。つまり、小柄の棟方(宗方)または刃方で接着(臘付)していますが、後世の小柄は二つのパーツから出来ていて(二枚張または裏張)、刃方と宗方で接着しているとされます。また、紋や模様などのある表側は地板という薄い板に、模様や紋を据えたり高彫(裏側から叩き出してある)にしたのを本体に嵌め込む手法に変わってきているとされています。いずれにしても片手巻からいつ二枚張になったのかは、はっきりしませんが、桃山時代から江戸最初期が入れ変りの時代とみてよいのかと考えています。

 

さて、小柄の表側は、七子地(ななこじ)となっていますが、七子(七々子・魚子とも)とは魚の卵のような極小さい丸い形の粒状のものです。この七子地は指の滑り止めを主目的としていると考えられます。小柄は拵の内側にあり、武士は左手の親指で小柄の小口(こぐち)部を柄の方へ押し出します。そして鐔の小柄櫃から出てきた小柄の戸尻部分をつまんで引き出し、右手で持つという動作になるのです。

こう考えていくと、武士が小柄を抜けばどの部分が一番多く擦れるでしょうか。一番力を入れて擦るのは小口の部分です。そして、引っ張り出す戸尻の部分となります。という事は、小口と戸尻の部分の七子地が頻繁に指の腹で擦れて摩滅していくことになります。これが私が一番大事な見所と思っており、現にその様になって、七子地が殆ど磨地のようにツルツル状になった実例があります。これなどは、相当に実用に供されていた動かぬ証拠となりますから、一番大事な見所としたいと考えています。それから表側にある模様や紋は高くなっている部分から、摩滅しやすいのですから、そこに金象嵌などの装飾が施されていれば、金色が剥がれたり薄くなったり、または無くなったりしていなければいけなくなります。

 

こうした合理的な細かい観察から、ある程度の時代を想定するしか手はないと思うのです。ただし、こうした長い経年による所作がある小柄は、今の愛好家はあまり歓迎しませんし、商品価値も低いとされていますが、私には全く理解出来ません。全く経年変化のないものは恐いものでありますが・・・。
(文責 中原信夫)

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