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+ エコ鞘の話

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

エコ鞘とは私が勝手に、そして便宣的につけた名前ですが、こうした合理的な鞘は初見の例でもあり、紹介をしておきます。

写真Aは脇指拵の鞘で、しかも先端(鐺に近い所)部分の残欠です。よく見てください、鞘を真二つに割ったものです。しかし、その鐺部分に何か小さい楔状のものが挟まっています。その楔状の小さな木片が写真Bで、それを真上から写したものです。

 

では今一度、写真Aを見てください。Bの木片がそのまま内部に押し込んだ状態が本来の形でした。ここに掲載の写真を提供していただいた新潟県・青木恒雄氏によりますと、初めてのものであり、こんな細工をしてある例は見聞きしないという事で、私に実物を提示され、写真をいただいた次第です。

さらに、この鞘の内部(搔込部分)には「寛政八 丙辰」「□田中」と墨書があって、鞘の製作年代がわかり、大変貴重です。(□は屋号のような気がします)

 

ではこのBの部品(木片)はどのような目的で使用したのでしょうか。おそらく、脇指(刀身)を出し入れした時に出る削りカスが少しずつ切先(棟筋先)の部分に溜っていき、しまいには一杯になってしまいます。白鞘なら割鞘をすれば事が足りますが、塗鞘ですから割鞘は出来ません。そこで、鞘の先端にBの木片を入れて、清掃する時には、押し込んだ木片を取り出して清掃をして、それが終れば、また元のように木片を押し込んで、鐺部分を漆で塗って止めておく。このように考えられた作例かと思われます。

 

写真Cが鞘の鐺部分の所にBの木片を押し込む途中の写真です。写真Dが鐺部分から見たCの状態の写真です。

このような細工・工夫をする理由は何でしょうか。それは経済的に苦しい武士階級が考え出した苦肉の策と考えられます。武士は大小を指せますから、いわば特権階級ですが、禄高の低い武士が殆どでしたから、表道具とはいえ、拵を度々作り替える経済力には乏しいはずです。ならば出来るだけ指料の拵は長持ちさせなければいけないという事になり、簡単な手間で長年使用できる鞘を考えたということになります。

 

また、この鞘の内部に製作年紀が墨書してあるのも、かなりの説得力があります。つまり、この寛政年紀がなければ、いつ作られたかが判明せず、信用度が低くなるからで、青木さんの話では、鞘を割って初めてこの墨書を見つけ、そしてこの木片の細工に気付いたとの事でした。

ただし、この鞘はけっして高価な塗をしていないようで、鞘下地の上に紙も布(麻や木綿)も塗り込んではいないようですから、今回のように簡単に割れたおかげで、墨書が確認された上にエコ細工が発見されたのです。因みに経済力の高い武士の拵の鞘は頑丈にするため、下地に紙や布を塗り込めてあるという事を先人・先輩から教わっていますが、禄高の低い武士であればある程、清掃用のエコ対策が不可欠であったようです。何となく、現代人には少し耳が痛い話ですが・・・。
(文責 中原信夫)

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