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INTELLIGENCE

+ 笄の本体部

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

この笄の本体部(A)図、つまり地板が脱け落ちたものを見る機会も余りない様に思います。

総長=6寸9分、地板の横巾=2寸2分7厘、縦巾=3分5厘弱、蕨手部の厚さ=1分、木瓜部の厚さ=1分2厘、棹先の厚み=5厘。赤銅ですが、(A)図中段が真横から眺めたもので、胴の部分が半分強にわたり曲がっています。いや、曲げられています。裏には「直信(花押)」と在銘。

これは今から30年以上前に、地方の古美術商から買い求めたもので、随分高価であって小遣の捻出に大苦労した覚えがありますが、今となっては懐かしい思い出となりました。今時、こうした部位は売ってもいませんし、また買う物好きもいない?でしょう。

 

さて、この地板が脱け落ちた所には、内部を恐らく鏟鋤かなんかで削り取った痕跡の筋が、横(左右)方向に綺麗にそろって刻まれています(B図)。この本体は当然、赤銅の無垢ですから、地板を嵌め込むためには、浅い穴を長く彫らなければ、というか、予め、ある程度、穴の状態にしておいて、細部の調整のために道具(鏟鋤)や鑢で仕上げたものと思われます。また、地板を嵌める筈の内部は蕨手方向に向って眉形下辺から深さは少し浅く残してあり、木瓜部辺りも同様です。胴の縁(へり)は下部(底)に向かって、まったく垂直におよそ1ミリ弱ぐらい掘り下げてあり、所謂、壁状になっていて、その壁の中途より上に手油と埃が交じって固まったようなものが、水平状(直線上)にこびりついていますが、内部にはまったく、そうした所作は見られません。そして、眉形から蕨手の下の辺り、そして木瓜部の角には、分厚く固まった埃のようなものがこびりついています。また、眉形の下・木瓜形の下に接着の痕跡が極わずかに残されているようです。

 

こうした点を考えてみると、あまり古くない時代、つまり昭和に入ってこの笄は地板を失ったと思われます。なぜその時期なのか、つまり、胴部が乱暴に曲げられているからで、これは何が何でも地板を剥がそうとしたと考える以外にはないからです。赤銅一色ですから、恐らく金紋でもあったのを脱してしまいたかった。もう笄などは、必要もないし必要とされない時代の行為でしかありません。

明治に入って金目貫が随分と鋳つぶされたと聞きます。その方が地金として金目貫より高く売れたと伝わっています。鎺の金着銀着も切羽の金着銀着も同様であって、そうした金銀薄板を塊にして持っている人を見たという先輩もいます。勿論、前回の龍の図の地板は、この笄の地板部には嵌められません。つまり、龍の地板がかなり大きすぎるからです。従って、前回の龍の地板は小柄の地板を小さくしたものであることを、ある程度理解していただける筈です。個体差があっても小柄と笄の地板の大きさは、全く違うということ、簡単なことだが案外気づいておられない向きが多いように思っています。
(文責・中原信夫)

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