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INTELLIGENCE

+ 蓑亀の小柄

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

寸法は、タテ=四分八厘弱、ヨコ=三寸二分弱、厚サ=一分五厘、(紋部最大)二分五厘強である。

山銅・七子地に蓑亀の図ですが、写真(上から二段目)からもわかるように、棟方に明らかな割(裂目)があり、この小柄の元来の継目となっていた事は明白です。つまり、この部分に鑞付が施されていたのが、後世、この小柄が乱雑に扱われたため、そこの継目部分から裂けたものと考えられます。

では、この他に継目がないのかと、かなり慎重かつ入念に精査しましたが、刃方に鑞付の痕跡はないように思われます。

しかし、本小柄を掌にのせてみると、完全な片手巻構造の重さとは違います。わずかな重さの差を感じるのであり、とすると、二枚貼構造しかなくなりますが、地板の厚さから推測しても、片手巻しか考えられず、この総体の微妙な掌で感じる重さの違いを感じるのは、残るのは地板の厚さしかないかと思われます。

ただ、そんな事をいっても本小柄の構造を特定しなければ、製作年代のおよその推測は不可能です。

本小柄は棟方に継目が見られるだけですが、刃方には無いのです。すると、ここで地板が比較的厚目である事も踏まえて、写真の最下段で見て下さればわかるように、刃方が薄くなっていません。つまり、やや丸い形状となっているのに気付きました。すなわち、刃方で折り曲げて、棟方で継いだという結論になったのです。従って、片手巻構造であると、一応断定したのです。

 

では、この蓑亀の図柄は裏打出しなのでしょうか。そこで内部を色々と調べましたが、裏打出しの痕跡は全くなく、逆に地板部(表側)の裏側(内部)には凹が全くなく、ツルリとした一枚の板が平面状になっているのが判りました。 こうなると、既述済のことではありますが、片手巻構造という選択肢から考えられるのは、この亀は据紋という事しか考えられません。詳しくは、本小柄を分解してみないと判りませんが、それは破壊以外に何物でもなく、今の私には出来ません。

では、据紋となると、リベットで地板(表側部)に留めたのかと思われ、よくよく精査しましたが、そうした痕跡は見つけられないので、残る選択肢は一つしか残されていません。つまり、紋そのものを鑞付してあるという可能性が残るのみです。

 

今迄に拝見した裏打出の紋(図柄)は、本小柄程には高い肉置きとはならないのです。殊に数物は薄肉としかならないようです。また、七子も紋のすぐ際迄蒔いてあり、こうした所作は据紋・鑞付方式にしか見られないものと思います。

このような経過と推測で、考えなければいけない事が出てきます。それは、この小柄の図は見事であり、紋の部分の際端まで金色絵が施してあります。分厚い金ではなく、いわゆる鍍金方式(メッキ・減金)です。この方式ならば、私の推測から一応不可能なという事はなく、出来ないものではありません。

つまり、本小柄は江戸初期まで降らないが、数物の最たるものではなく、また、最上手でも勿論なく、ある程度の上物、つまり中の中位ぐらいから上位ではないかという考えが、現在の私の考えです。
(文責・中原信夫)

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