INTELLIGENCE
+ 牛の目貫二題
Copywritting by Nobuo Nakahara
今回は、ほぼ同図柄の目貫二点を比較してみたいと思います。
では、(A)を見てください。赤銅・牛に荷車の図、容彫。表目貫は、タテ=五分三厘、ヨコ=一寸四分三厘強、高サ(最大)=二分三厘弱。 裏目貫は、タテ=六分、ヨコ=一寸四分三厘強、高サ(最大)=二分二厘。
牛が荷車に載せた米俵を運ぶ図柄でありますが、圧出も深く激しい作であります。また、少し際端を削られている痕跡が残っていますので、製作時では、今少し高さ(厚さ)もあったと思われますが、これはある程度古い目貫には必ずといっても良い程の後世の加工です。
さて、牛が引っぱっている車は、現代では見かけなくなった“大八車”に近い形です。把手の部分が表裏の目貫共に左側と右側が地透(じずかし)として表現されています。こうした図柄は余り見かけないと思います。牛の背中には鞍のようなものがあり、把手の先端は牛の首(頸部)の付根辺にあります。
そして、この図柄で目立つのは前述の把手の部分と表目貫の牛の前足(左足)の位置です。よく見る牛の図では、牛の本体、顔の下部に四本の足があるのが殆んどです。つまり、牛は大地を四本の足でしっかりと歩むという前提から、この足の構図のとり方で、目貫が生々と見えるか否かが決定出来るかも知れません。
しかし、この表目貫は、まさに動きだそうとする姿が、この左前足を上げた図、そして表裏の目貫の牛の首の向きにも見事に表現されています。
裏行でみると、ククリは残されています。足(根)は角棒状で支金も残されていますが、裏目貫では足だけが欠失しています。地板の厚さを含めた総合的な判断は江戸初期ではないかと推測しています。
では(B)を見てください。赤銅・牛車の図、容彫・金象嵌。表目貫は、タテ=五分五厘、ヨコ=一寸六分八厘、高サ(最大)二分三厘弱。裏目貫は、タテ=五分六厘、ヨコ=一寸七分三厘、高サ(最大)=二分二厘。
前掲(A)は、荷車でしたが、この目貫は荷車ではなく、貴人の乗る牛車(台車のみ)と思われます。それは車輪のスポークの数ではっきりと区別できると思います。それと、(A)と(B)で違うのは、牛の大きさと車の大きさの配分です。これは実物の車の大きさも違うので一概には対比出来ませんが、そこをデッサンするのが構図であり、巧拙がそこに如実に出てくる筈です。牛車は、ゆっくりと動かすのですから、この目貫を見ると牛の顔の向きを見ても、(A)とは全く違います。表目貫の四本足の点も、前述の如く考えれば、この目貫(B)の構図も十二分に理解出来るでしょう。
しかしです。見較べて頂きたいのは牛と車輪の立体感です。そして、(A)の把手です。
牛の立体感では断然秀れているのは(B)であり、(A)の牛は頸部と顔の大きさと体部とのバランスが、何となく体の方が貧弱に見えます。しかし、(B)では頸部と顔、そして体とのバランスが良く、牛の体躯全体が立体的となり、躍動感が出ています。(A)の把手は却って牛自体を弱く見せていて、その形状もやや脆弱と写ってしまう結果、構図自体が弱く見えてしまう。また、(B)の牛の背中付近の金象嵌による縄も非常に効果的に写ります。
では裏行を見てください。圧出は圧倒的に(A)よりも(B)の方がダイナミックで力量感があって優れていると言わざるを得ません。また、車輪の圧出を(A)と(B)で較べてみても、圧倒的に(B)に軍配が上がってしまうでしょう。
(B)の裏行を見ると、足(根)は表裏ともになくなっていて、その痕跡が明瞭に残されていますが、支金は製作時から付いていなかった様です。足自体の形状は、どうもよく判りませんが、少なくとも角棒型ではなかったようで、ひょっとすると陰陽根であったかも知れませんし、元来から足はなく、現状での痕跡は後世の足であり、それがとれてしまった可能性も・・・。
いづれにしても、(B)の目貫は赤銅地の厚さからも(A)よりも製作年代を上げなければいけないと推測しています。(B)も後世になって際端を削りとった痕跡が残されていますので、現状のよりも、少し高い圧出であった事になります。なお、(B)の表目貫の左端部(裏目貫右側)にある牛車の一部が欠失しています。こうした欠失は古いものであればある程、どこかにあるものです。
(文責・中原信夫)