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+ 蝶の図の文鎮

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

この作品を初めて手に載せた時は、“いやに重すぎるなぁ・・・”という感覚であって、恐らく縁金具を使って加工したと考えてみました。写真にあるように赤銅七子地、蝶の髙彫、金色絵。寸法はタテ=一寸二分九厘、ヨコ=七分九厘、高サ=四分六厘(底板から天板部)・底板から突起迄は五分五厘弱。

今から四十年程前から大流行した電気鋳造による紛い物ではないという確信はありました。その理由は天板(銀地の薄板)ですが、中央に紐を通す“鈕”のような突起です。この加工が、前述のような電気鋳造による紛い物(多くは水滴など)とは違っていて、ちゃんとした加工であったからなのです。

前述の表題の如く文鎮としたら、“鈕”の部分に紐をつけて持ちやすくした筈であり、それならば、この作の重さも一応の納得はいくものです。

そして、何と言っても、この作の土台にした縁は、かなり良いものです。

 

さて、この作を眺めていたら、銀の薄板(天地)が縁に密着せず、何となくガタガタというか、少し動くことに気づいたのです。そこで所有者の方に「この天地の銀板をはずしてくれませんか」と頼んでおいたら、後日、薄板二枚が脱せましたとの事、それが写真です。

縁の中全体に詰められたものは、金属ですが、何となく銀の合金かと思う重さであり、無垢状態となっていました。

そして、天地の二枚の板の裏には、短い足が二つずつ鑞付されていて、この足を内部の無垢状の中にあけた小さい穴に差し込んで固定したものである事がよく判ると思います。

 

この作(文鎮)に使用した縁は、江戸後期頃の作かと推測され、従って、この文鎮の製作は、明治以降(なお詳しく云うと、廃刀令以降になっての加工)と考えるのが順当かと思います。

廃刀令というのは、誠に過酷なもので、武家社会を根底から覆したものであり、刀や刀装具が全く無用の長物とされ、本作品のように拵の金具が容赦なく転用されたものです。現在でも、こうした例は見かける事がありますが、中には地鉄として鋳つぶされた金目貫や鎺の金着板があったと聞いております。

 

それにしても、この縁が装着された拵は見事なものであったと思われます。因みに、前述の電気鋳造による紛い物については、以前少し触れた事があります。昭和四十年代の中頃から刀剣商の市場に出廻り始めたもので、今でもその手を見かけることがあります。一番多く製作されたのは、鐔・目貫でありまして、本歌の作から精妙精緻なシリコン樹脂で型取ったものを母体として、メッキ技術の応用で鐔・目貫の本体を作り、それに色揚、着色をしていく訳ですから、罪つくりなものであります。

超一流の金工鐔ならば、この方法だと七子の粒の一つ一つのみならず、目立たない僅かな“アタリ庇”まで、そっくり本科の通りの各々の片面だけの二枚が出来上がりますので、中に芯金を入れてそれを表裏あわせてしまって上手に鑞付をしてしまいます。そして耳の部分に覆輪などをつけると見別ることは、最初は仲々むつかしいものでした。
(文責・中原信夫)

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