INTELLIGENCE
+ 無赤銅の目貫三題
Copywritting by Nobuo Nakahara
無赤銅は「無赤」と同義で、共に“むしゃく”と訓みますが、『日本刀大百科事典』(福永酔剣先生著・平成五年刊)から引用すると、
「装剣具で象嵌や色絵のない赤銅物。無赤銅と書いても、ムシャクとよむ。もともと後藤家で小道具に遣った用語であるが、のちには鐔にも用いるようになった。」とあります。
つまり、象嵌・色絵などの彩色・装飾を全く施さないので、造形と赤銅色のみで作品をみせるという狙いがあると思われます。
とかく、数寄者は色々と彩色のあるものが奇麗であり、飛びつきやすいのですが、これも決して間違ってはいません。しかし、無赤銅の作にはキラキラがないだけに、仕事、技術で見せるという事で、いわば味付をほとんどしないで素材の味のみでの勝負という考え方となります。したがって、私がこの社会に入った昭和四十九年頃には、この無赤銅の作を十分に評価する数寄者もいて、かなり高価でした。
さて、無赤銅の作品が多くあるのはおそらく目貫でしょう。笄、小柄、縁頭が次いで多く、鐔は少ないような気がしますが、いづれにしてもそれらのどれもが入念作が多いように思われます。
では(A)と(B)を見てください。(A)は矢の図(矢鏃と矢羽根か)であろうと思います。(B)は軍配の図でしょうが、いづれも武士に関する画題と言えます。
(A)(B)の裏行をみますと、各々の地板の厚さはほとんど同じ位ですが、圧出(へしだし)のダイナミックなのは(A)の方です。また、ククリにしても(A)の方が多くあって、時代の古さを感じさせるものです。赤銅の色は(A)の方が黒々としています。では構図(図柄)ですが、外形を見ると、(B)は横長で扁平な感じが強く、デザインもやや対称的となっていて単調な感じを受けますが、(A)の方は外形がフットボールの形状をなし、表裏の図柄に対称性はなく、強弱があって秀れていると感じさせます。
(A)・(B)ともに、足は角棒状のものがあります。(B)には足が完存(一方は折曲っている)していますが、(A)はほとんどよく見ないとわからない位に短く切り取られています。ともに支金(かいがね)はなく、こうした特徴は古い作に割によくみかけるものです。
(A)(B)ともに日刀保の極は古金工となっていて、しょうがないのかなあとは思いますが、(A)は少し?です。(B)の方は確かに古金工という事で良いかもしれません。しかし、(A)は今少し位を上げてもいいのではないかと思います。
では次に(C)を見てください。図柄は四方手ですが、極めて上手なデザインであり、表裏の目貫各々に力量感を上手につけてあり、房などの形にも躍動感が見事に施されています。
地板は真黒い赤銅色そのもので、裏行を見ると地板の厚さは前掲の(A)・(B)よりも少し分厚い気味がありますが、後世になって少し際端を削り取られて腰が低くなっている気味があります。しかし、今だにククリは多く残されていますので、その製作年代は(A)・(B)より大きく降る事はなく、抜孔も上手に施されていて、古さを感じさせます。
裏行を見ますと、支金を四個つけた角棒状の足がありますが、足は短く取り去っていますが、何となくこの支金と足は後世の加工のような気がします。そうした点を勘案しますと(C)は(A)よりももっと所謂、後藤家の掟に近いと思われます。つまり、(C)の外形をみますと、ほとんどフットボールの形になっていますが、表目貫の右端の房のデザインにやや締りが不足(デザイン・デッサン不足)しており、房の右端部分にのみシャープさとだらけた感があります。また、表裏目貫ともにやや横長の感じが少しありまして、特に裏目貫は、やや横長の感が強いものです。
因みに、表目貫を上下に横二等分にしますと、上方に重量感、大きさが偏っていますので、下の方に偏っているよりはマシですが、これは後藤家の掟というかデザイン的に見て、少しアンバランスとなり、今一歩のデザイン・デッサンが必要であったかという感じがどうしても残ります。しかし、細かい彫なども目障りにならないように施していて、極めて上手な図としてまとめているのは認めざるを得ません。また、(A)・(B)に較べて意匠に関してはやや鋭角的な打出が見られ、圧出についても房の先端などの所作にしても少し甘い?という所もありますが、際端を削り取られているので、よりその様に感じるのかもしれませんが・・・。したがって、時代的には江戸初期頃の後藤の傍系と見ておくべきかと推測しています。
以上、三点をざっと紹介しましたが、この様な無赤銅の作をもっと愛好家・数寄者の皆様に見直していただければ幸いかと思います。
(文責・中原信夫)