INTELLIGENCE
+ 牡丹花の小柄
Copywritting by Nobuo Nakahara
本小柄(1)はおそらく笄直の小柄と推測されます。その理由は後述という事にして、本小柄の説明をしたいと思います。赤銅、七子地に牡丹花の据紋、金ウットリ象嵌。法量は、タテ=四分六厘、ヨコ=三寸一分五厘弱、厚サ(紋部も含む)=二分八厘弱(最大)。据紋の総長=二寸二分。
では牡丹花の形からいうと、小柄中央部に配してある花の形は、やや横に拡がってはいますが、下部は無理のない形。しかし、花全体は少し左斜目に傾いています。本小柄には計四個の開花状態のものが彫られていますが、向って右端の花がいちばん大きい様で右斜目方向を向いています。この右端の花と左側の小さな花が重なっているのと、左右のバランスをとっているかのように見えます。
注目したいのは中央部の花のやや右斜目下、小縁の近くにある枝の方向です。明らかに右方向を向いています。この図が小柄として作られたのなら、この枝(切口)は縁頭、つまり柄の方向を向く事になり、従来からの考え方では小柄の図柄ではない可能性が高くなります。つまり、この据紋部が笄と考えるなら、その向き(方向)はOKという事になるのです。もっとも、こうした考え方が江戸初期以前から厳然としてあったかどうかさえ不明確である事は本欄で既述済ですが・・・。
ではこの小柄を精査すると、紋部が七子地板の表面から全体的に少し浮いており、わずかに隙間が見えます(2)・(4)参照。これは据紋であるという証拠です。そして据紋ならリベット方式と鑞付方式の二通という事になりますが、小柄の内部を見られないので何ともいえませんが、左右の花の付近でのリベット留めではないかという一応の感触があります。
また、小柄の右端(戸尻)側上の写真(5)を見てください。明らかに七子地板が小縁から少し浮上って見えます。これで七子地板と紋が一体となっている事がわかります。また、七子の粒の状態から見て、この地板は本来より少し小さくされて再利用されたという感じがというか痕跡があります。つまり、七子の粒(円形状)が途中で切り取られたような痕跡が地板の端々、小縁との接触面の辺に残されています(6)・(7)。そして七子の蒔き方が全て直線状であって、中央部のやや右斜目下の枝の切口付近の抜孔(狭く小さい所)の内部にまで七子が蒔かれているのが確認できます(8)。こうした七子の状態から考えて、この牡丹花紋は据紋であり、鑞付とは考えられず、内部の状況(推測)からリベット方式であるとほぼ確定出来ると思います。
また本小柄の小口の小縁の棟方に、横方向の合目(継目)が(6・矢印)で確認できます。さらに小口の内部を斜目から写した(9)からは、二種の色違いの金属が縦に直線状に写っていますが、これは地板と小縁の地金の相違と考えられ、小縁の横方向の合目から推測して、地板(据紋を施した板状のもの)を、蓋(天井)のない箱状の本体にそれを戸尻まで差込んで作ったと推測しています。
つまり、地板と紋を再利用した小柄という結論になってきますが、果して笄を直した紋と地板なのでしょうか。七子を見てみますと、横方向(線状)に蒔いてはいますが、むしろ整然とはせず、やや歪んでいる方が多く、粒と粒が重なり合って、やや乱雑な蒔き方です(5・6・7)。また、左右両端の空地(据紋の両端と小口・戸尻との間)にもほんの少し差があり、小口側がほんの少し広くなっています(1)。これは実用上の痕跡でしょうし、七子もこの辺の擦れ方が他の部分より大でありますが、何といっても据紋が地板の天地一杯一杯になっていますので(1・7)、これは明らかに生小柄ではないとみた方が良いでしょう。
『後藤隆乗勅答書』や『後藤黒乗伝書』(朝倉応友本)には「生類は高く彫り草木の類は低く彫る」という記述があり、これからすると本小柄の据紋は明らかに紋自体が高く、違反しているので据紋本体は後藤本家の作とは考えられません。
また、中央部の牡丹花の刃方部分にある金ウットリ象嵌(カシメた溝の部分)が、あまりにも狭いので〈(3)・(7)・(8)〉紋自体も少し際端が削られて低くなった可能性もあり、地板も紋も別物で再利用した可能性をも考えるべきでしょう。
結論的には、本小柄が笄直であったとするなら、紋部の大きさから考えて相当大型の笄であった事になります。また、リベット方式の笄をそのまま利用した可能性は少ないと考えられます。その理由は現状の地板(左右両端)の肉置です。笄の紋部を本体(無垢)を切り取り、その裏を薄く加工し、眉形、木瓜部を加工したのなら、紋部分の際の肉置は本欄で既述済のように両端より少し高くなるはずですので、本小柄の地板自体の肉置(全く偏平状態/2・4)とは少し相違します。ただ、古い紋である事に異論はないと思います。
以上、現在の私の考え方で推測してみましたが、引用文献も含めてこれからも検討していきたいと考えています。つまり、それら文献の記述が信頼出来ないと、前述の私の推測の多く、つまり、製作年代と流派の推測が崩れることになるからです。皆様方の更なる御教示を待ちたいのと、金属検査の確立が一層望まれます。
(文責・中原信夫)