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+ 牡丹花の図柄について

Copywritting by Nobuo Nakahara

牡丹の花は多くの花の中でも、華やかなものであり、「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」などと称されますが、古来より小道具(装剣具)の画題(図柄)にも多く採用されています。

 さて、この牡丹の花ですが、『後藤家彫亀鑑』という目利本(写本)には(1)・(2)両方の図示があり、花の形の善悪という事を示しています。もっとも同書に云う“善悪”とは牡丹花のデッサン・デフォルメの形状についてのものであり、個別の牡丹花の品評ではありません。つまり、装剣具の図柄として、どの様に表現するのかであって、ひいてはその装剣具の出来・不出来と作者群の相違につながるという捉え方です。なお、この『後藤家彫亀鑑』は写本であるため、今回の(1)・(2)は『日本装剣金工史』(桑原羊次郎著・昭和十六年刊)より引用させていただきました。

 

ではその内容を引用すると、
“一、家の牡丹花は横平目なり、竪スボにては 椿の花に似るは 家にはなき事なり。”
とあります。

まず、“家”とは後藤本家を指しているし、同書の成立は一応、寛延頃(江戸中期の終り、後期の初め)とされていますので、俗にいう“町彫”と相対させている事は明白です。前述文中の“横平目”というのは、おそらく「よこ・長め」の意であり、“竪スボ”とは「タテ・長め」の意と思われますので、それを(1)・(2)で感じとってください。また、“椿の花に似る”という点については、確かに椿の花は“たて長”であり、また花全体がポロっと落ちるので、当時は忌み嫌ったのでしょう。

ではどうして同書では、この様な牡丹花の形状に拘ったのでしょうか。確かに(1)は姿全体がヒョロっとしていて力が不足で力量感、華やかさが不足しています。牡丹花は華やかですから、その存在感を十分に感じさせるのは(2)の方でしょう。実物の花を、つまり写実を主体としてどのように装剣具の図柄にうまく効果的に収めるデザイン・デフォルメするのかが、第一に問われる点でしょう。そこを曖昧、不十分にすると、人間の見た目に写る作品(限られた大きさ)としては、何となく満足が得られませんし、実用上からも横に長い方が秀れていると思われます。

以上から、同書に指摘されている見所(図柄のデザイン・デフォルメ)からは、後藤本家だけの特別な掟ではなく、実用上からも至って自然な感覚からくる、ごく当り前のものです。それを、勘違いをしないでいただければ一番理解しやすいと思います。

 

では(A)と(B)を見てください。まず(A)は山銅地、牡丹花の容彫、金色絵(鍍金)。法量は、表目貫/タテ=五分弱、ヨコ=一寸三分七厘、厚サ(高サ・最大)=二分五厘、裏目貫/タテ=五分弱、ヨコ=一寸三分七厘、厚サ(高サ・最大)=二分六厘強。

(B)は赤銅、牡丹花の容彫、金ウットリ象嵌。法量は、表目貫/タテ=五分三厘弱、ヨコ=一寸三分、厚サ(高サ・最大)=二分二厘。裏目貫/タテ=五分二厘強、ヨコ=一寸三分、厚サ(高サ・最大)=二分二厘弱。

この(A)・(B)両目貫を前述の『後藤家彫亀鑑』の記述に当てはめてみますと、花の形状は(A)が掟通りであり、(B)はその形が横に拡がっていますが、下方への形状が浅く、不格好となっています。

さらに、葉の形でいえば、同書には、
「草木の葉彫に於て 家彫は葉の太筋が 葉の尖端に附合ふと云ふことなし、又、小筋が大筋に附き合ふと云ふことはなく何れも多少其の間が明(あ)く心なり」
とあります。

つまり、前の文中、“葉の太筋”とは葉脈の事であり、葉の中央にあるもの。この太い中央部にある葉脈が葉の先端まで彫っているのは後藤本家(家彫)にはないと言っているのであり、また、太い葉脈から別れた細い葉脈と中央の太い葉脈がくっつけて彫っていたらダメである(後藤本家ではない)とも述べているにすぎません。何がダメかというと、花の形と同じでデザイン・デッサンという事からの見方である事は全く同様でしょう。したがって、(A)・(B)共にくっついているので、後藤本家の作とは認められないという事になります。

 

では目貫の全体の形状からいうと、両方共にラグビーボール状の外形になっていて、実用上は差支がないでしょう。そして地金についていえば、(B)は赤銅であり、その色も良いのですが、(A)はそれより劣ります。この点について同書には、
「目貫 柄(小柄) 笄共に、家には地金悪しきは なし」
とありますから、(A)は後藤本家の可能性はなくなります。では(B)はというと、牡丹花の形や葉脈の形状に難があり、これも後藤本家とはいきにくいのです。

 最後に、両方の目貫で裏行の秀れているのは(A)でしょう。地金の厚さはほとんど同じで、足(根)が無いのも同様。また、(A)の方が大型でダイナミックな感があります。したがって、両方共に江戸初期頃の作ではという事になるのですが・・・。

 以上は『後藤家彫亀鑑』を基にしての捉え方ですから、正解であるか否かは不明としかいいようがありませんが、現在までの装剣具の鑑定は、この程度であるというのが事実と認識していただきたいと思いますが、逆にそういう見方しかなかった、というのもまた事実でもあります。
(文責・中原信夫)

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