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INTELLIGENCE

♯ 清麿展に思う憂い

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

昨年(平成25年)から今年の春にかけて、『清麿展』が4会場で開催された。さすが人気刀工であるだけにご覧になった方も多いようで誠に良かったと思っている。

私も2会場に足を運んで見させていただいたが、こうした展覧会でひとつ気になる傾向があるので指摘しておきたい。

 

今回の清麿展では、かなりの本数が展示されていたが、所蔵者名がなく、単に個人蔵となっていた。確かに現今は個人情報に対してガードを高くしなければならないが、その個人蔵と刀剣商社長個人とが同じ“個人蔵”となっている。これは如何なものか。もちろん、私の知人所蔵の作品もあったのであるが、明らかに刀剣商、ことに“札つき”の刀剣商もある。しかも、所蔵者、主に弁舌巧みな刀剣商が我蔵品を褒め上げるかの如く、美辞麗句の羅列で終始し、肝心の見所などは戦前に出版された一人の特定人物の言を、そのまま引用しているお粗末さ。もっと一般の方々にもわかるように、刀の楽しさをアピールすれば、もっと良かったのにと思われ残念であった。

この有様では、主催者側の見識を問われかねないもので、札つきの刀剣商の御先棒を担いだ結果に終わってしまう。しかも主催者を代表して解説に廻っても、意味不明、旧説のタライ廻し、果ては○○先生は褒めました・・・etcでは何の効果もない。ならば出しゃばらなくてもいいのに、地方まで出向いてセレモニーに参加し、講演する始末では、もういい加減にしてくれと言いたくなる。

 

後日、『清麿展』は見ましたか?という質問を受けた折に、私は“はい、見させていただきました。”とのみ答えた。“では、内容は?”と突っ込まれ“正真物を探すのに苦労しました…”と答えた。それを聞いた人たちは皆、クスクス・・・という有様。“そのうち、豪華写真版カタログをつけて皆様に買いませんか。というような場合も十分に考えられますね・・・”と付け加えるしかないようだ。

断っておくが今回の『清麿展』に出品された全てが×ではない。見事な作品もあった事は事実であって間違って解釈しないでいただきたい。

今回、初めて山口県萩市(清麿有縁の地)で、この展示会も開催されたが、これは有意義なことであった。確か萩市の美術館に清麿(当時は正行銘)の自筆署名の書付が所蔵されているが、これは恐らく100%の信頼性があるのではと思われる。誠に貴重なものであり、他地区でも是非、本物の書付を展示して欲しかった。

 

私は3年以上前に『刀剣と歴史』誌(日本刀剣保存会)に清麿の長州駐槌について書いた事があるが、その文章で書かなかった事があるので、ここに誌しておきたい。

それは、清麿がどうして長州藩改革のために萩へ招かれたかである。当時(天保10年頃)、江戸には多くの刀工がいた。その中で特に清麿にどうして白羽の矢が立ったのか。私は当時、清麿の評価は決して高くなく、逆に評価の高い他の大御所の刀工では出張経費が高くつきすぎるので敬遠されたと考えるのが順当であろうと思う。もちろん、それだけではないだろうが、とにかく有名マダムより、ヘルパーのチイママの方が藩の経費を圧迫しないというような考えであったとしか思われない。かといって、出来の悪いチイママでは効果は薄い。ある程度の腕なら、雇われチイママでも良かった。さらに長州藩家老・村田清風などの人脈も絡んでいたはずである。これが私が書かなかった要旨である。

 

今は清麿の評価はNo.1であるが、今の評価で当時を推し量るのは間違だ。その事を清麿盲信者に考えてもらいたい。だから、私は“人の尻馬に乗って清麿を褒めない”のであるが、清麿を認めないのではない。この点を誤解しないでいただきたい。
(文責 中原信夫)

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