INTELLIGENCE
♯ 「登録制度発足以前の刀剣の所持について」を読んで
Copywritting by Nobuo Nakahara
表題のタイトルでの文章を少し引用してお話させて頂く。
この文章は『刀剣界』(平成二十八年五月刊・全刀商)に掲載されたもので、冥賀吉也氏の書いたものである。ここでは、終戦直後の所持許可証や刀剣審査通知書・刀剣譲渡許可証の実例を挙げられての文章である。この三つの書類の現物を御覧になった方は、今となっては大変少ないのではないかと思われ、それを解説されたのは非常に有益なことである。
流石に今となっては古い刀剣商の一人でもある冥賀氏は、戦後の刀剣商で大成功され、“カミソリ柴田”とまで賞賛された故・柴田光男氏の一番弟子と聞いているし、現在でも厳然たる資力と実力を蓄えられた日本を代表する刀剣商の一人であるとされていて、私よりもその刀歴は少し古く、恐らく私より何才か年長の先輩で、各地の刀剣会の指導もされていると聞いている。こうした指導は、目利者で利益を省みない同氏でなければ出来ない事で、実に有難い、そして尊い奉仕の心境でないと不可能な行為であろう。
したがって、終戦直後の真実を博学な冥賀氏は勿論ご存知のはずと私は勝手に思っていたが、その様ではないようで少しというか、大変残念であった。それは、この文章の最後である。少し引用しておくと・・・
「戦後の厳しい状況下のことは、公益財団法人・日本美術刀剣保存協会発行の『刀剣鑑定手帖』の巻頭に詳しく記されています。本間薫山・佐藤寒山両先生をはじめ、多くの先輩方のご尽力により日本刀が救われたことを忘れず、今後大切に伝えていくことこそ、我々の責務だと思います。」と結んでいる。
私は“多くの先輩達”やそもそも本間・佐藤氏の前に、進駐軍と当時の日本政府との交渉窓口として大任を一手に担った機関組織であった有末機関(大本営連絡委員会・終戦連絡事務局)の活動が一言半句も語られていない事に大いに不満を表明する。
殊に有末機関の浦茂氏の尽力によって、やっと昭和二十一年八月の勅令を受けて、初めて日本側による刀の審査権が出来たことであり、それを受けて同年十月に内務省(現総務省)において、初会合が行われている。この会合から登録証制度への移行と実施が完全な日本主導で行われたのであって、ここまで進駐軍を説得したのは、本間順治氏でも佐藤寒一氏でもない。この二人も全く統治権力のない日本側の公家出身著名人や財界人に働きかけてはいるが、国策として進駐軍を説き伏せられたのは有末機関である。だから勅令として降ったのであり、終戦直後の日本の大臣などには全く権限は無いといっても過言ではない。要は進駐軍を如何に説得するかであり、米国憲兵司令部のキャドウェルでもない。ヤンキー兵の暴行や狼藉を米憲兵は取り締れるが、対進駐軍への国策呈示などは次元が全く違っていて考えられないのである。
従って、いつまでたっても本間・佐藤氏への誤った神話を唱え続けるつもりなのか。私が述べた事が検証したければ、有末機関に関する刊行本もあるし、『階行』(昭和五十八年十二月号)も発行されている。そして昭和五十八年十一月の『刀剣と歴史』(日本刀剣保存会機関誌)、そして、平成二十三年の『刀剣と歴史』に私が述べた文を一読されん事を望んでやみません。これらの文章も是非共『刀剣界』で取り上げてくだされば幸甚と存じます。また、この文は冥賀氏に対して何ら悪意はない事をここに誌し、同氏の有名刀剣商としての一層の日本刀剣界への支援と尽力と指導を望むものであります。
最後に全刀商は特定の団体とは距離をおき、愛好家の立場からみても公平な刀剣商団体として存在して欲しいと願っています。
(平成二十八年六月 文責・中原信夫)