INTELLIGENCE
♯ 梅干論
Copywritting by Nobuo Nakahara
今年のゴールデンウィークは十何連休の人もあるとの事であったが、日本人はいつから“ナマケモノ”になったのか。バカ政治家とバカ役人の発案で休日を増やし、振替休日などという制度は作るし、本来の記念日を勝手に変更する。果ては、この長期間の休日を地方毎に分けて・・・という様な事を堂々と企てたバカ女政治家?が以前にマスコミによく登場した。そんなバカ人間を選挙で当選させる選挙区民も同罪ではないだろうか。
さて、そんなゴールデンウィークの翌日の朝、テレビ(民放)を見ていたら、女性料理家(中年)が、山菜にかけて食べるドレッシングを作っていた。その時の主な味は梅干であり、その梅干について両脇にいた局アナ(男・女)に「梅干というとどんなイメージがありますか? そうですね、スッパイ味を思いますね。しかし、この頃の梅干にはスッパイ味がしない様に思いますが・・・」との問かけ。これに対し男の局アナが「梅干にも色々なのがあり、ニーズに合わせて多種多様なものが・・・」と言いかけたら、料理家は「基本の味を、昔からの味を知った上でないと、それを知らないでは味を変えても何もなりません。昔からの物には体に良い味があります・・・」。以上の要旨であったが、録音した訳でもないので正確さは少し欠くが、要点はこの様であった。私はこの料理家は本当で基本的な事を言ったと感じたし、世に迎合する世辞を言わない態度に共感出来る。
この話を本稿で取り上げている光悦の作という「乙御前」の茶碗にあてはめよう。世に有名な鑑定家の言う通り、この「乙御前」の様に歪んだ形に光悦が本当に“美”を求めたのなら、それは違う。どうして光悦以前の茶碗にそうしたものがなかったのか。何故なら、茶碗は人間の手(掌)で持つもの、何百年・千年前から人間の手は殆んど変らない。なら、持ちやすくて、無理のない形があるし、求められるし、それが道理のはず。その形に大きく違反するものは×である。そして、違反した形、全く形のみを重視して実用になりにくい、ならない形を賞揚したら、これは無茶苦茶だけである。
人間が使い易い様に最低限の形を持ちながら、最大限の機能を有する造形が、即ち「美」である。いうなら「調和した実用美」である。ただ、形を歪めてというか、焼いた時に歪んで欠陥が出た(その様な拙劣な技術)のを賞め上げるのは、基本を知らない単なる変わり物好きだけであろう。要は、限定された中で、新機軸(造形)をどの様に創造するかが才能である。まさにこの梅干論と同じであろう。
それにしても、一日何グラム以下の塩とかいって厚労省のバカ役人は喧伝するし、医者も同様。それだから、品質保持剤なんていう防腐剤を多く食べさせることになる。確かに過度な塩は摂らないが、それよりはるかに体に悪い薬品を食べても“良かった”となる。今少し考え直してほしいものである。
(文責・中原信夫 平成二十七年六月)