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♯ 中央刀剣会

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

以前の本欄で名前を出したが、戦前、東京・九段の靖国神社境内の『遊就館』に本部のあった「中央刀剣会」について少し書いておきたい。

 

中央刀剣会は明治三十二年に設立された刀剣会で、今村長賀をはじめ当時の鑑定家が集まったもので、毎年宮内省から御下賜金をいただいていた由緒のある刀剣会であった。その機関誌が『刀剣会誌』で、一時は『かたな』誌と改名し、またすぐに『刀剣会誌』に戻したが、昭和二十一年九月頃まで発行された。その中央刀剣会には発起人として、松平頼平子爵、谷干城子爵、犬養毅(木堂)、寺内正毅、西郷従道侯爵、岩崎弥之助男爵、三宮義胤男爵など当時の政財界の著名人が名を連ねている。

また、役員としては山本悌二郎、頭山満、渡辺三郎、河瀬虎三郎、俵国一、内田良平、山岡重厚、古河虎之助男爵、三矢宮松、杉山茂丸などがいたし、審査員としては本阿弥光遜、小倉惣右衛門、神津伯、桑原羊次郎、秋山久作、平井千葉などが各々名前が出ているもので、挙国一致内閣の様なものであった。ただし、時代によりその人員は変っている。

 

しかし、こうした会でも勢力争いの如きものがあり、後に本阿弥光遜は審査員を辞し、従来から開催していた「日本刀研究会」をさらに大きくし発展させ、そこに通っておられたのが村上孝介先生であったが、当時は「中央刀剣会」「日本刀研究会」の他に、「築地刀剣会」(小倉惣右衛門[網屋]主宰)、「刀剣保存会」があって、各々に盛んなものであった様である。

さて、「中央刀剣会」であるが、その『刀剣会誌』の口絵である刀の写真と印刷の良さには頭が下がる。その殆んどが神社や名家等に伝わった有名刀工の作で、国指定も多くあり、写真撮影時、印刷時より90年前後経っても写真が色褪せる事もなく残されていて、現在でも十分に通じる。いや、現在以上の出来栄である。この口絵はガラス製版であって旧式のものであるが、今では再現不可能であろう。
(文責・中原信夫)

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