INTELLIGENCE
♯ 赤帽さんへの配慮と恩恵
Copywritting by Nobuo Nakahara
刀の重いことを前回書いたが、村上先生のことを少し。どこかの雑誌かに書いた記憶があるので、少々重複するが・・・。
村上先生はよく、駅では赤帽さんを頼んでおられた。ただし、この赤帽さんという職業はとっくに無くなっている。また、昔でも小さな地方駅には、この赤帽さんはいない。その時は、本当に死ぬ思いをして、刀袋と鞄を持っていっておられた。
私が随行するようになった昭和49年頃、神楽坂の事務所から東京駅(八重洲口)まではハイヤーであった。なぜなら、事務所の近くにハイヤー会社があり、そこに頼むと正確に迎えに来てくれるからであった。
先生は八重洲口へ着く少し前に、車窓から手を出して駅にいる赤帽さんを招く。すると、先生の顔が見えたら赤帽さんは何をおいても、すぐ先生のハイヤーの前に来て、時間を訪ねる。当時、先生はグリーン車しか乗られなかったので11号車か12号車である。切符の時刻を見せて、それで終わり。料金は1個1000円を先生は払うのである。当時は確か、200円ぐらいであったと思うが・・・。刀袋が2つと鞄で3000円。気前よくサッと前払い。こうした点は、本阿弥光遜譲りの伝統?。
駅構内に入ると、週刊誌2冊を買い込んでホームへ。10分前には先ほどの赤帽さんが荷物を持って上ってくる。それを私が受け取る。この様なことを4年半も繰返した。従って、東京駅の赤帽さんは村上先生の顔をよく覚えていて、どんなに忙しくしていても、すぐに村上先生の荷物には対処してくれた。また、東京駅に着いても、先生の顔を見るとすぐホームで荷物を受け取って、いつものように八重洲口のタクシー乗り場へ先行して待っていてくれた。これも村上先生のなせる技であろう。
私には真似は出来ないし、したくもない。でも考えてみれば、赤帽さんも助かるし、村上先生も助かる。それにしても赤帽さんの仕事は大変であったと思って、感謝、感謝である。
(文責・中原信夫)