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INTELLIGENCE

♯ 再会

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

最近になって過去に(30年から40年以上前)拝見したり、押型を頂いたり、御預かりしたことのある私に縁のある刀を再度、御預かりしたりするケースが多くなった。これは30年〜40年くらいのサイクルで持ち主が変わって来ていることを示しているのかもしれない。

 

先日も、ある脇差を拝見していたら、持参した方が「銘をご覧になりますか?」という発言の前に、私がとっさに「○○ですか? 年紀は?」と言ったら、その方は「ええぇ、当りです。寛永年紀があります。」となった。そして「では、重刀になっているでしょう?」と言ったら、「はい、重刀になっています。」と言われたので中心を拝見したら、見覚えのある刀工銘と年紀。私は「確か○山の鞘書があるはず。○○県の○○氏の名儀で重刀指定でしょう・・・」というと、その通りと言うことで指定書と所載本のコピーを見せて頂いた次第。

帰宅後、調べてみると昭和51年の後半(秋頃)に村上先生が預かられたので、私が押型を採ったもの。約41年ぶりの再会であった。本刀を見たのは入門して2年後のことであったが、年紀が少ない刀工であったのと、この脇差の他にもう一振の無銘重刀を当時の所有者が持ってこられた。もう一振は確か一文字極であったと記憶するが、村上先生はあまり肯定されなかった。従って、この脇差一振のみを預かることになったのである。

 

さて、この件の少し前に近江大掾忠広の豪刀の上出来(重刀)を拝見する機会があり、後日、鑑定刀に御預かりしたのであるが、以前見たことのある気がして、手持の資料を探したら、私が独立して3年目ぐらいに九州で拝見、押型だけを頂いた刀であった。従って、35年ぐらい前になる。

かと、思えば1年以上前であるが、親国貞の刀を拝見した。その時、漠然と見覚えのある中心だけれども、上身にあまり記憶がないというか、研の様子が変わっていた。どうしても気になり、手持ち資料を探したら、前述の脇差と同じ昭和51年に村上先生がお預かりになったもので正月の鑑定刀に使用されていた。しかし、中心を見てやっと気づいたので、その後、研直を施されたと思われる。当時の持ち主は、○山の直系の人で名刀を所持されていたが、もうすでに亡くなられた筈。時は移っていくのだなぁと、つくづく思い知らされる。私も齢をとったのか?
(文責・中原信夫)

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