INTELLIGENCE
♯ 研代の裏表
Copywritting by Nobuo Nakahara
前稿で本阿弥光悦について辛辣な推測を書いたが、別に光悦の美的感覚や技術を否定したのではない。むしろ、逆であることは十分に理解していただける筈である。
さて、世の中には技術は極めてうまいが、性格が?という烙印を押される人が時々、どの分野にもいるようであるが、私自身は「ごく当り前の常識人間」として全うしたいと念願している。
技術が高いといえば、以前このような事を体験した事がある。
東京で研磨をやっていた某氏。この人は技術が上手で、当然、昭和48年頃からの刀剣ブームの折には、何年も研が出来上がるのを待たされるくらいの人であった。当然、研代も年々上昇していったが、この人の店の研代はその先頭を切って上昇していったのである。
これは他の研職も同じであるが、この人の仕事は確かにうまかったのであろう。難仕事、つまりかなりの技術を要する仕事も多かった。事実、私の師・村上先生もよくその人に仕事を依頼されていて、極めて高額な研代を支払っておられた。
私はその人に一度それとなく聞いた事があるが、その人は「私は技術に関心があるだけで、研代をいくらにするとか、いくらになるかには全く関心はない・・・」と言われたのを思い出す。この話を聞くと殆どの方はおそらく“名人にもなると研代のことなどは全く頭にないのですね、感心します・・・”と言うだろう。しかし、この話は鵜呑みにはできない。難仕事はそれだけ時間・日数、それと技術と頭と良い(高価な)砥石を使うのであり、適度に難なく仕上げるケースとは全く違う。その相反した研代を同じにしたらどうなるか。全く考えられない無茶な話である。当然、時間・技術を多く要した研は高くなるし、現にこの人の名義の請求書はその通りのもの。前述のように研代には全く関心がなかったら、研代の額はどうして、誰が決めたのか。大きな矛盾である。
正解は本人も難仕事であったからと研代を高くするよう指示はしたはず。そうでないと、本人以外では額を出せないではないか。つまり、内心は研代に大いに関心があったことになる。表向きは実利に疎い顔をしながら、本心は実利に拘るといったタイプ。京の良き伝統を見習っておられる?・・・。しかし、その人は関東地方の出身であった筈。後年、念願の人間国宝にもおなりになった。
(文責・中原信夫)