INTELLIGENCE
♯ 悪業を居直る研屋
Copywritting by Nobuo Nakahara
前稿、前々稿で技術のことを書いたが、最近、40年振りにある短刀を拝見した。その短刀は、40年前は技術と研代の高い人の研を施してあったが、40年振りに拝見した時の状態とは違っていた。もちろん、何らかの致し方のない事情で研直(とぎなおし)されるのであるから、一概に研直をいけないという気は全くない。
研直もなければ研職はすべて失業する。しかし、である、私の言いたいことは無用の研はやってはいけないのである。どうしてか、二つの理由がある。
第一に刀身をごく僅かでも減らすことになる。これは第一番に避けなければいけない。しかし、部分的な錆なら、その部分だを極力処置すべきである。しかし、こうした仕事はやりたがらない。何故なら儲からないから。
第二には、昔の研ではどのような細工をしているのか判らない。全てではないが昔の職人の仕事には、今の職人の想像もつかない超ウルトラ仕事をしてあるケースがある。現物とその仕事内容をよく見れば、ウッカリと砥石をあてられないのであって、精査しなければならない。これは昔の職人の技術の高さと時間のかけ方、そして砥石の良さであって、それを認識せずウッカリ、手を着けようものなら、開けてビックリでは済まされない。
そういう“コワサ”を全く認識しない研屋は全くお構いなし。研の技術のみ、つまり、刀を研いで利を得ることのみに終始する研屋を多く作り出したのも戦後の一つの大きな事実。刀に全く興味も関心も持ち合わせない、ただ研いで生活の糧にするだけ、研ぐことが好きで、それ以外に全く興味や楽しみも無い。
研ぎやすいように先反を取り去り、肉を落としても平気、むしろ何が悪いと居直る。さらに、姿がシャープで鋭くなって良くなったと喧伝する。加えて悪いのは、そうした不合理な悪業を見抜けない愛刀家。むしろそういうダマされやすい、ダマしやすい愛刀家を育てた戦後の刀剣指導者側にも問題はあろう。
しかし、そうした批判の前に、刀は錆びさせないように手入れしてください。それが一番であることは言うまでもないことです。
(文責・中原信夫)