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INTELLIGENCE

♯ 所謂、軍刀の登録について

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

従来から、所謂軍刀とされるものが登録審査に提出されれば、登録証は交付されず、結果的に破棄されるというコースを辿る事になっているが、果してこれでいいのかという点について少し述べてみたい。

 

さて、現在でも発見届がなされた刀は全国の都道府県によって開催されている登録審査会で合格すれば登録証なるものが交付されているが、例え発見届があっても登録審査の段階で×、つまり、軍刀(非鍛錬刀)類とみなされれば前述の結果となる。これは一見論理が通っているようにみえるが、私に言わせれば無茶苦茶な所業である。

どうして所謂、軍刀は×なのか。それは古式鍛錬していないものであり、美術日本刀とは言えないからと説明されている。しかし、素延・油焼等の軍刀が何故に×にされたのか、この点について全く認識がないのである。つまりは戦後の進駐軍に対する日本側の巧妙かつ苦肉的言訳であって、多くの日本刀を犠牲にしないために、戦時中の即製軍刀ならば目をつぶって、それらを人身御供にしてしまい、刀について全く解らない進駐軍をうまく丸め込んだにすぎない。

 

詰まる所、進駐軍のいた時代は確かに、致し方のない措置ではあったが、現在、その進駐軍はいるのであろうか。

なのにである。この様な言訳を金科玉条にして、軍刀とみなして法に忠実?に葬り去ってきた。現在では、こうしたやり方に?をおぼえて登録審査席上でも意見が二つに別れて対立する実例が多いようである。私は軍刀であろうが全て○にするべきであると思う。むしろ、今出来の偽銘刀の詮義をもっとするべきと思う。

私に言わせれば、軍刀であっても登録証を交付すれば良い。理想は登録証など全く不要。戦前にはなかったでしょう。それで問題が起こったのかと言いたい。現在、登録証交付までに、警察庁(発見届)と文化庁(登録証交付)という二大役所にまたがり、登録証制度の本当の経緯も刀の事も何もわからない役人が、ただ単に軍刀は×という馬鹿の一つ覚えをタテにして文句を言うだけであり、おまけに刀の事を全くわからない一部の審査員が頑迷にこの一点で×にしてしまう。これはある意味、重大な国家による破壊つまり合法的な破壊であります。

 

さらに言うなら、鍛錬された刀か否かを判定するのは極めて高度な鑑定眼がいるのである。一旦、刀剣登録審査員という肩書がつけば、自分の名刺に大きく印刷し、大鑑定家になったように振舞う。刀を全く知らない役人や一般市民はそのような人達を崇める。全く笑話にもならない悲喜劇となっている現状も大いにある。

そして、この様なお粗末な審査員は偽銘(特に今刻ったホヤホヤの偽銘)が提出されても、何の措置もしないで登録証を交付する。軍刀類(と思われる物を含め)を×にして、偽銘、それも古い時代の偽銘ではなく、今出来のホヤホヤの湯気の立ったものまで○にしてしまうのと、どちらの罪が大きいか。

当然、後者の方が重大な罪で全く比較にならない。この点について私が問い質すと、審査員は「刀の真偽は審査しないのが規則でして・・・」と言うが、ならば軍刀か否かは審査にならないのかという事になる。一方では基準のない無法審査をやり、一方では結果的に偽作に手を貸すという愚行を堂々とやっている。

詰まる所、銃刀法での登録は大ザル法の典型であるから、一般的にはどうにでも逃げられる性格があると思われがちだが、逆に言うと、どうにでも引っかかる、引っかけられるものである。

例え、油焼の素延の刀でも登録証がついて市中に出れば、ちゃんとそれなりの価格で取引される。民間の智恵や眼をナメてはいけないと言いたいのであり、素延油焼であっても当時の文化所産の一つであります。

 

終戦直後の進駐軍に対する言訳は、進駐軍がいる間だけで終りにしてしまうべきであったのに、そうした処置や行動を一切しなかった当事者の無責任さには呆れ果てる。そんな人達の主な人物が戦後、刀を救ったとか、果ては刀の権威とかと喧伝されてきた事に、私は情けなくなるし、その人物を今だに賞讃してやまない傾向は即刻やめるべきである。サンフランシスコ講和条約で真に独立した恰好になってすぐにでも登録証制度は廃止するべきであったし、その時にしか出来なかった。まさに時機を逸した!!
(文責・中原信夫)

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