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♯ 清正公拵について

Copywritting by Nobuo Nakahara

清正公(せいしょうこう)とは戦国武将で肥後熊本藩主であった加藤清正の事であるが、清正が懐中に忍ばせていたという京・二条城での豊臣秀頼と徳川家康の会見に立会った時、例の有名な短刀拵が熊本市内の本妙寺(加藤清正公を祀る)にある。

この拵は肥後拵の一つとしても有名であり、展覧会でもよく出品され、天下衆知のものである。

したがって明治以降、殊に戦前は東京の網屋が監修したこの拵の「写」が作られ、金具は宮田氏が作った在銘のものも経眼した事がある他、戦中、戦後にも個人愛好家の方も同様に「写」を作られていて、その作例も経眼した事がある。おそらく網屋が監修した「写」は、多分、当時の熊本市内の刀剣商・長崎伊太郎氏に極め所を尋ねたのではないかとも思うが、長崎氏自身も熊本近辺、例えば筑後の塗師などを動員して「写」を製作していると聞く。

 

熊本で二代続いた刀剣商・長崎静観堂は創建当時そのままの姿で現在も熊本市新町にあって、熊本市指定の文化財になっている程、ハイカラな容貌である。私も熊本を訪ねるとその前をよく通るが、以前は長崎次郎書店という本屋であった。つい二年程前、現在の建物は二階が喫茶店になっているのでコーヒーを飲みにいった事もある。また、初代の長崎伊太郎氏と本阿弥琳雅・若き日の本阿弥光遜との縁は深く、明治の末期には琳雅・光遜は熊本へ研の出稼にいっている話は有名である。それ程愛刀家の多い熊本であったが、長崎静観堂は今では考えられない程“品”のある刀剣商であり資産家であったという。また、熊本は江戸時代最末期頃より「肥後刀剣会」が創立されていて、日本最古の刀剣会であったが、戦後、日刀保の設立時にその熊本支部として名称を変えたが、明治期には清田直、堀部直臣などもその中心メンバーであったと聞く。

 

さて、本題の清正公拵であるが、今から二十年程前、熊本市の加納良寛氏の尽力で、この拵を手にとって拝見出来た。その時は何を確かめにいったかというと、この拵の鞘の半分程は網代(あじろ)が巻いてあるというか、網代に包まれている。これを確かめたかった。というのは、私が熊本で長い間お世話になった熊本市京町在住だった前田正元氏が、この拵の「写」に熱意を持っておられ、竹製の網代を職人に作らせては試行錯誤を繰り返しておられたが、鐺の所の収め方が全くうまくいかなかたようであり、私も前田氏宅によく泊めていただいたので、その網代の残骸を見ていた。前田氏は網代は別府に行く度に職人に頼み相当の出費をしておられたが、とうとう亡くなってしまわれた。前田さんは戦前からの肥後刀剣会の生残りの一人で、他には福永酔剣先生のお二人しか昭和の終り頃にはおられなかった。私は福永先生健在の折からずっと肥後刀剣会の事を書いてほしいとお願いしてきたが、とうとう叶わずじまい。

 

今迄に経眼した「写」の拵の鐺の処理は、漆で適当に留めたものと、金具を嵌めてしまったものとの二種類があるようで、その原因が何かを知りたかった。そこで本科の拵を拝見する際、私の知合の網代職人の山口氏に同道してもらい色々と意見を求めたが、その時の山口氏の意見は「この網代は竹製ではなく、多分ですが籐製ではないか・・・」との事。竹皮の薄い「ヒゴ」を作り編んでいく技術者ならではの見方があったようで、「竹ではちょっと出来ないかも。しかし、籐なら可能かも・・・」といった意味であろうか。それでも尚、疑問は解けない。つまり鐺の処理である。

それから何年か経ってハタとひらめいたのは、鯉口に近い方から網代を絞り込んで編んでいくと思い込んでいた従来のやり方であったが、逆に鐺の方から編み始めれば出来るのではないかという考え方が浮んできた。この私案を山口氏に後日聞いたが、否定はされなかったが、正解は実際に出来るか否かであろう。鞘は上に行く程太くなり、肉置も表裏違うという厄介なものだからである。もっとも従来からの方法をとっても同じ難関となり、ヒゴの本数と編目の調整となると・・・。

ただ、私が考えたのは鐺部分は帯に指す度に擦れるので、相当の強度が必要となり、ならば網代の編み始めを、鐺部からやったら良いと思ったからである。本科は鐺部が毀れたので、後世、適当に補修した。それを見誤ったのが原因か?

 

清正公拵をはじめ、昔の拵にはどのようにして作ったのかという感じの強いものがある。

例えば、黒田如水の「安宅切(あたぎぎり)祐定」の黄金の霰紋長鐺のついた打刀拵と同様の「圧切長谷部」の拵。金地の長い鐺をどうやって作って嵌めたのか、私は両拵を拝見していないので全くわからないが、経眼した人に「あの長鐺は刃方と棟方で、つまり表裏、二つのパーツを鑞付してあったの」と聞いたら、その方は、私の推測を否定されたと記憶する。正確な話の内容ではないが、一度でも拝見出来れば少しは確認出来るのであるが・・・。

いずれにしても実物を見たらまた、頭を悩ます事になろうことは必然。

でも、小道具でもそうだが、昔の職人(技術者)が方法は別として、実際に作っているのであるから、現代人に作れない事は絶対にないと確信?しているのだが・・・。
(文責・中原信夫 平成三十年一月六日)

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