INTELLIGENCE
? 磨上についての基本
Copywritting by Nobuo Nakahara
磨上というと、愛刀家の殆どの方が、「長い刃長を短くするだけ・・・」と考えていますし、確かに刃長を短くする事には全く変りはありません。しかし、刀そのものは三次元の存在、つまり”タテ・ヨコ・厚み“であり、二次元の“タテ・ヨコ”(刃長)だけではないのです。その点が全く考えられていないのが現状です。
つまり、従来から諸本に記載されている磨上の図解では、この二次元としての磨上概念しかありません。戦前の本阿弥光遜・藤代義雄にしても、その著書には二次元の図解で済ませています。また、戦後から最近に至るまでの諸本でも全く同様であります。本当の事を知らないで書いたのか、知っていながら書かなかったのかは・・・。
したがって、この点が間違なのであって、実際の磨上では、「長さ」との戦ではなく、「厚み」との戦となってきます。つまり、刃長は磨上たい寸法に棟筋先から計測して、棟に新しく切込を入れて棟区を作れば完了です。
ところが、刀身の厚みは生中心の研溜(刀身で一番厚い所)から上は漸次薄くなり、下に向っても同様です。当然、何寸かを磨上るのですから、生中心の時の研溜は新しい中心の下部へ移動する事になり、この磨上が何回も行われるにつれて、生中心の研溜は中心尻の近くになっていきます。この移動した(移動してしまう)研溜を如何に上手に処理するかが第一関門であり、第二には古い刀身であればある程、刀身の研による表裏の減り方が相違していますので厄介ですし、第三に磨上る理由の一つに、銘を極力残すという大前提があるのです。勿論、銘だけではなく、磨上る前の刀身(中心を含めて)を極力残す事です。その中には古い錆、古い鑢目、肉置、生の目釘孔が極力残す対象となります。
以上の大前提の極めて限られた条件の中で磨上をするのであります。これは難工作であります。
さらに厳しい条件を加えなければならないのは、磨上た新しい中心には、元の刀身部分がかなり入ってきます。しかし、刀身には刃文があります。その刃文をうまく処理しないと磨上工作は出来ません。前述の新規の棟区は、棟には刃文がなくすぐに工作が出来ますが、刃方の方はそうはいきません。剛い刃文(匂口)があり、ここに鑢がかけられるギリギリ最低限度の剛さにまで刃部を軟らかくしないと、新しい刃区と刃方のライン(形状)が工作出来ません。
また、銘、錆、肉置、鑢目、生孔ですが、古い太刀を磨上るケースが多いのですから、銘は極力全体を、または殆んどの古い状態を残すのが至上命令です。古い太刀の中心自体の反は強く、そのまま強引に磨上れば銘の殆んどはなくなります。したがって、中心の反を伏せてから磨上工作にかかります。しかし、銘のすぐ上には生中心時の研溜が表裏に厳然とあり、この段差の強い研溜付近を処理しないと、鎺が作れないし、仮に作って収めてもガタガタして鎺本来の役目もなくなるし、拵の柄に入れようにもガタついて柄の役にも全く用をなしません。柄の内部は中心全体がスッポリと入る所ですから、中心尻が一番薄く、それから上に向かって漸次厚くなっていないといけません。これは鎺も全く同様なのです。
新しい中心の途中(中程前後)で中心の厚さが分厚くなっては絶対にいけないし、ほんの少しぐらいの段差なんてかまわない・・・とは絶対にいえません。それを解消するのが在銘の方と反対側を加工するのが苦肉の策。では、表裏に在銘ならどうしますか。おまけに、磨上る前の傅来の良さを示す古い錆・肉置・目釘孔はどうしますか。このように磨上とは厚みとの厳しい戦なのでありまして、磨上る刀身の健全度が区々ですから、磨上状態は全く同一にはなりませんが、磨上工作の基本概念は同じです。
この点をよく理解してほしいと思います。
したがって、以上の概念からいうと大磨上とされる中心の表裏が全く同じ状態になることは絶対にないという点に尽きますし、磨上をしたら必ずその痕跡は残るのです、また、残すのであります。しかも磨上中心は不恰好であります。
つまり、中心が一番合理的で美しい(機能美・実用美)のは生中心の時であり、それを無理に改造するのですから不恰好になりますことは必然的です。
また。大事な点は生の焼元は磨上と同時に殆んど消え(消され)て、漸次下に向かってその刃文の”なごり“が僅かに残り、新しい中心の刃方に見る事が出来る程度になっていきます。
以上の要点を是非ご理解いただきたいと存じます。
(文責・中原信夫 平成三十年十二月二十四日)