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INTELLIGENCE

? 再刃について②

Copywritting by Nobuo Nakahara

古刀で現存刀が一番多いのは、何と言っても備前物であります。その備前物で、室町中期頃までの作には必ず移(映)がありますが、無いのはまず?であります。

このように書くと必ず、「備前物以外にも移がありますよ・・・」という反論がありそうだが、私の言う点は一つ、他国物にも移が出る場合がある事は十二分に承知しています。ただ、備前物(室町中期頃迄)には必ず移があるという事であります。

つまり、備前物には特有の移が出現する原因については別に置いておいて、備前物には厳然と移があるのです。これを覆す事はできません。

 

では、その備前物の焼身を再刃したら移は無くなるのでしょうか。以前から拙著や研究会でも述べていますが、移が再出現する事例もありますが、無くなるケースも出てきます。

となってくれば、備前物の再刃か否かを判断する事は不可能になるではないかとの指摘が出てくるでしょう。

しかし、私は再刃する事によって移が再出現するかしないのかの点をみるのではなく、今現時点で移が出現していない作例のみをまずは除外するという考え方でありまして、移が再出現(再刃)しているのか、どうかを見極めるという事を言ったのではありません。

当然ではありますが、その次に中心の状態をも十二分に見極めながらの判断という、この二つのフィルターを通す事によって、備前物の再刃はかなり見破れると考えていますし、また、三つ目のフィルターとして、刀身の健全度と刃幅のバランスの見極めをすれば、かなりの確率で見極めが可能になる(しかし、100%にはなりません)と考えますし、それ以外にはないと存じます。

 

従来からというか、戦後になって殊に第一のフィルターである移の有無というのが、ほとんど全く機能していなかった、むしろ、認識されなかったと思われますが、これは致命的なミスでありまして、節度のない無銘極を濫造する結果となったのであります。つまり、備前物(室町中期迄)に必須条件である移は、再刃の鑑別や無銘極においては一大重要事項であると考えています。

では、もう一つ難題があります。それは、再刃による移の再出現という範囲で、不鮮明な移はどう見極めるのかであります。よく刀剣商の販売カタログに“淡く(不鮮明な)移が出る”とか“部分的に移が出る”というような表現が使用されていますが、愛好家の立場とすれば、まず、それらの表現が正確かどうか、つまり、淡い移は研磨が悪い(不適切な研)ためにおきてモヤモヤとしているように見える所作を淡い移、または部分的な移と誤魔化しているケースが多いからです。しかも、古い作例には地肌に叢がありますので・・・。この事は拙著『刀の鑑賞』に既述済です。しかも、“淡い”とか“部分的”とか表現される作刀の中心を見ると、正常ではない状態となっている場合がほとんどです。

 

ここで一番重要な事があります。備前物の移である乱移と棒移には必ず「煙込(けむりこみ)」という所作があります。これをよく確認する事であります。それから、生中心の場合は刃区下の「焼元(やきもと)」から刃文と移が一緒に出現しているのでありますから、これを必ず確認するべきです。勿論、磨上の刀身ではこれは確認できませんが、煙込は随所にあるはずですし、移の終点の位置も必ず確認するべきであります。

また、鑑定上での移の形状は「乱」か「棒」の二つでありまして、よく「〇〇移」などという無責任な宣伝文句の俗称に誤魔化されない事です。これも拙著に述べてありますので参照していただければと存じます。

 

それでは最後に一番説明しにくい点に触れないといけません。それは中心に何の欠点もなく諸条件が揃っているのに、移は確かにあるが不鮮明というケースであります。つまり、研磨によって、移の“見え方”が違う事であります。一般的に、地肌を“立てる”と移は不鮮明な傾向になるとされていますが、私は研師ではありませんので、信頼出来る複数の研師の方から聞いたりした事しかお話し出来ません。俗に肌を“立てる”とは地肌の肌目を一段と際立たせる様子(毛ばだたせる)を指し、逆に地肌の肌目を目立たなくするのを肌を“伏せる”といいます。

したがって、不良刀剣商は、淡い移、部分的な移?の出た、そして中心の状態が不良の商品を知らずに買った、または買わせた愛好家からそれを指摘され、「研ぎ直せば、もっと良くなりますよ・・・」という甘言でつり、研ぎ直すが、むしろ悪くなって良くならないケースがあり、トラブルとなる。

確かに、肌を伏せたら少しは良くなるが、それに適した内曇砥の良い砥石を持っていないと出来ない。しかも、肌を伏せたら肌が出てないなどというクレームを逆に愛好家から受ける事になる。

 

結局、刀の研磨はシーソーゲームであり、地肌を際立たせて良く見せれば移は隠れる傾向になる。移をよく出せば地肌がよく見えなくなる傾向になる。こういう性質が刀には必然的にあるのですが、移が厳然としてあるならば、また移の諸条件を備えたものなら、研の加減(適・不適)には決定的、完全に左右される事にはなりません。

刀身を見ると必ず、移は焼元から切先迄(移の終点)連続しているはずであります。この点をよく認識していただきたいと存じます。いづれにしても、極手は中心の状態です。

要は、移が必ずあるべき備前物で、移の全くない作例だけでも排除するべきであるというのが私の最少限の本旨であります。
(文責・中原信夫 平成三十一年一月七日)

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