中原フォーラム HOME
INTELLIGENCE

? 銘字・その一

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

本刀は二十年以上も前(無指定時)に経眼済であり、『鑑刀日々抄』(続二)(本間順治著)・『名刀図鑑』(藤代松雄著)・『肥後守輝広とその一門』(得能一男著)にも掲載済であるが、しかし、偽銘である。

まず、珍しい年紀銘の方が流暢で鑽の太さが一定しているのに、肝心の輝広銘は、金釘流の字体で強弱がありすぎ力不足である。初代輝広には年紀がほとんどないので年紀は刻り慣れないはずであるから、銘字はタドタドしくなるはず。まして、輝広銘自体があぶなかしいのにである。しかも、目釘孔(生孔で一個しかない)に「濃」の偏の第一画目の銘字がかかり欠画しているのも?である。

天正十七年頃の初代輝広は若いので力の溢れる雄暉な銘字を刻るはず。そして、刀身の出来は叢沸(むらにえ)がついて崩れているし、経眼の折に、中心の錆色も悪く、鑢も若いという感じが強かった。

前掲の三書共に、叢のある崩れた刃文を優れた作としているのは完全に間違っている。つまり、「・・・ところによっては匂出来になったり、叢沸がついたりしている・・・地刃の出来も変化があって素晴しく」とか、「・・・匂出来の刃があるが、その他は沸よくつき、ここには荒めの沸あり」、または「小錵(にえ)よくつき・・・匂出来の所もある。・・・変化のある出来で優れたる作品」としている点である。

刃文の匂口に叢を認めていながら褒めている感覚は完全に間違っているのである。刀の匂口の状態が、即、その刀の出来・不出来であり、良か否である。叢のある崩れた刃文には変化があるのは確かだが、変化イコール上出来ではない。この点を読者の皆様に理解し、認識していただきたいので、敢えて三書の内容を引用した。

 

さて、本題に入ろうと思う。ここまでの内容だと、本刀が偽銘であるとの見解は完全に示せない。もちろん、刀工銘と年紀の見方も重要であるが、口の達者な人は反論してくる。

では次の押型を見てください。

(B)は(A)の状態から全体の濃度を薄くした状態で、(C)は『鑑刀日々抄』(続二)に掲載押型を濃度を薄くしたものである。中心の黒色を薄くしてみると、中心の鎬筋がよくわかる場合がある。色が濃いと鎬筋の立ち具合、通り方がわかりにくくなるし、まして在銘部の鎬筋は銘字に目を奪われて注意して見ないし、また、見難いのである。押型を採ってみると良くわかるが、刻銘を鮮明に現出する意志が強くなり、石華墨の遣い方などが刻銘部分がない所とは自然に違ってしまう。これを考えて、右の方法をとってみたら、見事に鎬筋が鮮明に顕れてきた。

では(B)と(C)の鎬筋で(C)は明らかに「州」から下に異常な曲り方をしています。(B)では(C)に較べて少し不鮮明な感がありますが、明らかに(C)と同様の状態がわかります。そして、一番わかりやすいのは、この(B)と(C)をプリントしていただき、中心尻から上に向って目視で見ていただいた後で、さらに逆方向、鎺元から中心尻に向って目視してください。この方法で一番明瞭に見えてきます。したがって、輝広銘部分での鎬筋の曲り(歪・ゆがみ)は、中心仕立では完全に×となり、この輝広銘は偽銘となります。

 

今一つ言うと、前述の三書共に押型を切抜製版で印刷していますが、この印刷方法では中心などの微妙な外形線が今一つ正確にはならないのです。しかし、現状での中心の棟方の棟角の線を目視(上から下、そして下から上)すると、輝広銘の右側の棟角の線が裏の年紀部分の棟角のカーブと相違して、同様のカーブを描いていないことが判明しますので、これで明らかに、この輝広銘の部分(指表)には後世の加工が加えられていることがわかります。この点を理解していただいた上で、年紀銘の流暢さと反対に、輝広銘の不自然さがよく理解していただけるかと存じます。さらに、中心の表裏の鑢目の角度にも?がある。

また、以前から本刀を新資料として輝広(初代)の研究をしているようだが、その前に資料批判をするべきであり、指定品だから、所載刀だからと真偽を吟味せず、鵜呑にして、基礎資料・新資料とするのは基本的に間違っていると思います。つまり、資料批判をしていないという事になり、致命的な間違をおかす事になります。
(令和元年九月九日 文責・中原信夫)

ページトップ