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? 銘字・その三

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

まず(A)を見てください。備前国の親依という余り有名ではない太刀です。

太刀  銘 備前国住親依  刃長 二尺九厘、反 六分強、本造。

本刀は『鑑刀日々抄』(続三)(本間順治著)に所載されています。

 

では、本刀の銘字について述べていきたいと存じます。一見して何の問題もないように見えますが、(A)での中心の棟角の線を見てください。在銘部分の棟角の線が少し凸状となっています。『鑑刀日々抄』の押型は切抜製版による印刷で、しかも少し縮小されていますので、余りこの部分の凸は顕著ではありませんが、(A)が正確な状態です。これは別に?はないとお考えでしょうか。磨上であるからこの状態になったのでしょうか。答は「ノー」です。磨上をするなら「備」の銘字の上部(鎬地)を叩いて中心の反を俯せますから、「備」の銘字の上部が少し凸んできます。銘字のある所は絶対に叩くことはしませんし、絶対に出来ません。

 

では(B)を見てください。本刀の中心の棟方の押型ですが、在銘部分の棟角(向って右側)の線が凹んでいるのが目視(中心棟方から棟区の方へ)するとはっきりと確認出来ます。この状態はどのように解釈するべきでしょう。在銘部分の中心の肉置が凹んだ状態になっているのです。明らかに、本刀の銘字は偽銘です。中心の棟角の線が凸でいる(A)のは、(B)での棟角の凹と連動しているのです。中心の重(かさね・厚み)が凹んでいる所を押型を採ると、このようになってきます。つまり、在銘部分の鎬がほんの少し高くなり、結果的に鎬幅が広くなるので、それを二次元の押型にするとこうなるのです。しかし、『鑑刀日々抄』では左程の凸は感じられませんが、それでもよく見ると確かに凸んでいます。

 

さらに(C)を見てください。本刀の銘字の拡大臨模したものですが、一番下の目釘孔の左側、つまり「親」の銘字の「見」の第二画目の横棒から縦棒にカギ状に直角に曲がる所ですが、連続していないといけない(字にならない)横棒と縦棒が明らかに途切れています。こうした鑚遣(たがねづかい)は絶対にあってはいけないことです。

このように書くと、「たまたまこうなっただけ・・・」と反論される方がいるが、「備」と「国」の同じ横棒から続けて縦棒に移る鑚遣では全く途切れていません。この原因は、目釘孔のすぐ左側の狭い所に刻銘するのでむつかしかったから。つまり、この刻銘は追銘(おいめい・追掛銘とも云う)であります。また、「住」の銘字が他の銘字よりも小さくなっているのも同様に目釘孔を完全に意識した追銘であったからと考えられます。

また、一番下の目釘孔については、形状と位置から擬装の孔と考えられます。

 

(C)では「見」の第二画目の縦棒の始まりが割に力強く始まっていますので、明らかに、横棒を刻った鑽を一度離してから、あらためて縦棒を刻っている状態もよくわかっていただけると存じます。なお、本刀は、その焼元の位置、鎺元の刃文の崩(くずれ)、地肌の減り具合と全体の刃幅、鋩子の残存状態から考えて、再刃の可能性も十分に視野に入れるべきかと推測します。

本刀には本間順治の鞘書があり、重要刀剣指定ということであるが、私には全く理解しがたいものである。指定時の名儀人はロバートベンソンであり、この人は日本にいた米軍人であり、『刀苑』でも紹介されていた。後年ブローカーとなったと聞いていたが・・・。

本刀は今のところ日本にあるようであるが、いづれにしても鞘書と指定書によって悲喜劇を引き起すよくあるケースである。(敬称略)
(文責・中原信夫 令和元年九月十日)

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