INTELLIGENCE
? 押形による指定品検証 その1
Copywritting by Nobuo Nakahara
偽物というのは、偽銘が刻られた作を指すものであるが、では無銘ならどうなるのか。
昔から巷間よく使用される文言に「無銘に偽物はない」というものである。この文言は確かに当(とう)を得ているが、しかし、大きな嘘である。
無銘の刀に権威者が「極」(きわめ)を付ければ、それで通る(通してしまう)というが、果たしてその極がその刀にふさわしい的確な極であろうか。
もし、不的確な極、考え方の全く相違した極なら、この無銘刀は明らかに偽物となる。
元々、刀、殊に一流刀工の無銘刀は全く考えられないものであるが、昔から無銘極の場合は一流刀工の極しか付さない。
つまり、大磨上であるから刻銘は存在しないという従来からの考え方であるが、一流刀工の刻銘をそう簡単に切断して棄てない。およそ七寸位の磨上であれば、折返にして刻銘も残せる。つまり、三尺の刃長の作を二尺三寸に磨上ても折返銘として確実に刻銘を残せるのである。なのに、いとも簡単に無銘状態を受け入れてきた。
今回はこうした点も併せて考えていただく作例を呈示してみたい。
では押型を見てください。刃長 二尺三寸七分、反 四分二厘。刀は無銘で長谷部の極である。
単に長谷部と三字のみで極めれば、本阿弥家では長谷部国重を指す。この刀は、大磨上とされて長谷部の極であるから、元来は相当長寸の作と一般的には解釈されて、大切先で身幅も広いので、吉野朝時代の製作との前提で極められていることは明白である。
では、本刀の現在の刃区付近を見てください。殊に焼元を見ていただくと明らかに、刃文は中心の刃方へ向かって落ちるようになっているし、刃区の上部の刃幅は明らかに鎺元の刃幅より順次狭くなって、前述の焼元状態となっている。これは、本刀が明らかに生中心である事を示している。
さて、長谷部と同時代の秋広・広光の飛焼が出る場所、つまり、「広光・秋広は上部にいくにつれて刃文も派手、沸も強く、飛焼も多くなる」のが本阿弥家の掟とされている。しかし、本刀は物打辺にも飛焼が多くあるようで、鎺元にも飛焼がある。
つまり、長谷部は秋広・広光とは反対に下部に多く飛焼が出るのが本阿弥家の掟とされるので、この掟を当て嵌めると本刀は秋広・広光でも?で、長谷部でも?となる。
その理由は、大磨上なら生の刀身下部が殆んど無くなっていることになり、現状での本刀の刀身は、生の刀身の中央部下から上部が多く残されている事になり、下部の飛焼はなくなっているはずで、現状での刀身下部に飛焼があるという文言では長谷部の極は至って不合理なものになってしまう。したがって、本刀は大磨上の中心ではなく、生中心の作であり、生中心か大磨上かを全く考えずに単に都合よく飛焼の掟を引用しただけであって、生中心か大磨上かが全く無視されている。これと同じことは、長谷部やその一類の極の作刀にも共通している。
本阿弥家の昔からの掟は生中心の刀身での上部・下部であって、現状での刀身の上部・下部ではないと考えるべきではあるが、こうした点を昔から上手にカムフラージュして折紙などを始め、多くの指定がなされているが、果たして本阿弥家の掟が正当か否かには問題がある。
無銘極をする場合は、刀身が「生中心」か「大磨上」かを最初に慎重かつ厳重に吟味しないといけない。しかし、本阿弥家でさえもこの点については言及されてはいない。
また、本刀の中心尻は剣形になっているが、大磨上をした場合でも、銘を残す磨上でも中心尻は剣形には出来ないという事をよく認識していただきたい。
国の指定(昭和八年から)や重刀・特重の指定に関わった本間順治氏は相州傳の大磨上と称する刀の中心尻、殊に正宗極は剣形が掟とまで著述しているが、同氏の勝手な言い訳であり、全く根拠・理論・理屈のない間違であることを重ねて申し添えておく。
(文責・中原信夫 令和元年十二月二日)