INTELLIGENCE
? 折返銘について(その一)
Copywritting by Nobuo Nakahara
折返銘については、拙著『刀の鑑賞』・『刀の鑑賞規範』で、その説明と実例を示したのであるが、今回、典型的な好例を拝見することができたので、それを解説してさらに今一度触れてみたい。
因みに、「折返銘」とは近代の呼称であり、江戸時代では必ず「折廻銘・(おりまわしめい)」とされてきた。本阿弥家の代付・極・折紙などについては正式・正確に伝えるものがないとされてきたが、それらの概要を書いた江戸後期の筆写本『随筆 東鑑(あづまかがみ)』(林成方・林成庸著)という本がある。これは、村上孝介先生の『剣掃文庫』旧蔵・〈現(公財)日本美術刀剣保存協会蔵〉であるが、その『随筆 東鑑』には色々な事を述べていて(『本阿弥家の人々』参照)、特に折返銘について・・・
「古来より有之、摺上(すりあげ)べき物を摺上ずして折廻したるは必(かならず)偽物也。これ都(すべ)て折返し銘といはざる事は、返の字、婚礼忌む故、引出物等の上を勘弁して、今、札(下札)併折紙に折廻しと記す也」とある。
さらに「折廻の虚物(偽物)之類」として図示をしている。また、同書には入銘(額銘)の細工の事なども記している。『刀苑』で村上孝介先生(号・剣掃)が同書は筆者は林成方・林成庸の親子であるが、宣乗先生という人物の教えが元(基本)であると、この本にある武越散人高敬仲が序文で書いていると紹介されている。なお、『宣乗刀剣鑑定秘伝書』(享和頃筆写)(剣掃文庫旧蔵)が島根県安来市『和鋼博物館』に収蔵されている。また、宣乗・成方・成庸の名は『土屋目利書』(静嘉堂文庫蔵)にも出ているようである。
さて、(A)を見てください。これは「正利」(坂倉関)折返銘ですが、残念ながら刀身は地区筋より上、二寸六分余で切断されています。しかし、(A・A-①・B)にあるように、元の刀身部分にあった刃文(匂口)は歴然と残されていますから、前述のように「磨上ざるもの」ではないのであります。
(B)では折返部分を元に戻した状態での押型を掲出しましたので、よくご覧ください。目釘孔は片面各々に二つづつありますが、中心尻の近くの孔は表裏が少しズレて残っていて(A・A-②〜④)、現在の中心(裏)の中心尻近くの外側の刃方側に半月形状の小さい孔の痕跡(A-③・④)がありますが、これは、最初の磨上時の中心の目釘孔の痕跡であります。したがって、本刀は(B)での「正利」銘のすぐ左斜目上の孔が生中心時の生の目釘孔と考えられますから、最初、七分〜八分程の磨上を施されてから、さらに二回目の磨上を施されたものと推測され、現在の一番上の孔が二回目の磨上時の目釘孔ということになります。
本刀は元来、二尺一〜二寸位の刃長ではなかったかと推測していますが、現在の中心(表)の下の孔のすぐ上を見ると、古い錆が付いた部分と表面が光り気味の滑らかな状態になった境目(A・A②の矢印)あたりから上の鎬筋がやや広くなって拡がっています。これは、この部分(鎬地から上)が削られて生中心時の研溜の厚みを削って調整したという痕跡であり、現在の中心(裏)には中心尻からかなり上まで全面的に鑢がかけられているのも(A・A-④・⑤・B)でわかると存じます。それは、(B)の中心棟の押型と刃方の押型(棟角と刃角の状態)からも推測出来ます。
加えて、一番大事なことは、現在の中心(表)から下方に向っている鎬筋が、折返部分の「正利」銘の中央部を通って、全く歪(ゆがみ)もなくキチッとスッと通っていることであります。これを十分に、明確に見ていただくために押型(B)を作製・掲出しました。
次稿では折返部分の先端(現在の中心尻部分)についてお話をしていきたいと存じます。
(文責・中原信夫 令和二年三月三日)