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INTELLIGENCE

? 折返銘について(その二)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

折返銘や、その他の入銘(額銘)などについても、種々高技倆な細工を伴う偽作が昔からあることを『随筆 東鑑』では記述している。同書ではこのような細工は元禄頃から盛んになったとしていて、今の私達にも教えられる事が多くある。

では、折返銘の先端部(A-②・③・⑤・C-②・③)を見てください。(B)の矢印にもあらわれていますが折返部分の棟方から刃方の近くまで大きな割目が確認できますが、この裂け方(割目)は自然(ギザギザ状)で、人為的(直線的)なものではありません。現在、中心尻には約一分ぐらいは折返先端部が四角状に出っ張っていますが(A-②〜④・C-①)、これぐらい出っ張らせて厳重に注意しながら折曲加工しても折返部は裂けやすいという事でありまして、中心先で全く出っ張っていない折返?がよくありますが、まず考えられない状態であります。もちろん、少しは中心部分の剛さ・強靭さにもよって一定ではありませんが・・・。

それから、(C-①②はC-①の中心尻の拡大)を見てください。中心尻の中心棟から折返先端部を真上から写したものですが、太目の針金が十分通るぐらいの太さの孔が空いています。この所作・痕跡がない折返はほとんど全部と言って良い程?か×であります。おそらく、折返部が極力断裂しないように工夫して加工するための痕跡が残されていると思われます。皆様で、どのようにしたらこのような孔が残る(残される)のかをお考えくださっても良いのではないでしょうか。簡単な考え方でいいのではないでしょうか・・・。

したがいまして、この先端部分に孔(空間)が全く空いていない折返銘は必ず疑うことになりますが、当然ですが次に大事なことは、折返部分と上の刀身、旧中心が繋がっている(一体)という事でありまして、案外、この点が見過ごされているのであります。

 

因みに、折返にされますと、人間の眼と頭脳は上の刀身にしか注意をしなくなり、刀身が磨上っているのか否かさえも精査・確認しないで結論を出してしまいます。つまり、折返の先端(本刀で部分断裂のある部分)近辺を精査・確認しないのであり、まして、孔が空いているか否かには全く注意を払いません。ですから、この先端部分(曲った部分)で別物の銘字部分を継合わせて、あたかも折返を施したと見せかけた巧妙な事例もあります。ですから、「正利」の銘字部分まで鎬筋が通った(B)を掲出しましたので、鎬筋の状態を確認してください。

ただ、折返部を断裂させないためには、そこに「熱を加えて曲げればいいではないか」という考え方もありましょうが、それは絶対にしません。何故なら、熱を加えればその部分の錆色と錆状態が変わるからです。したがって、折返銘の銘字部分と折返部分は生中心時の一番古い錆色・正常な錆状態でなければならず、当然、本来あるべき鑢目も完全に保存されて可視出来るのが大前提です。よく、この銘字部分の錆色・錆状態が異常で、鑢目がないのに銘字がある指定物件がありますが、そうした状態は全く考えられないものである事は、前述文や拙著でおわかりいただける事かと存じます。

 

さて、同書に記述がありますが、「折返部分の横幅が広いのは古雅な折返」であるとしている点は傾聴に値します。過去に数例、そうした折返を拝見しています。また、折返部先端部近辺が全部断裂した作例も実見していますが、前述のように要はその断裂(割目)の状態がOKか否か(自然か人為的か)でありましょう。

それから、前稿で少し触れましたが、現在の中心尻近くの孔が表裏少しズレている(A-③〜⑥)という点ですが、これは当り前のことで、「正」の銘字の左斜目上の孔と中心(表)の下の孔は同じ孔ではないのですから、当然、生中心時の銘字部分を薄くして折返しても、最初の磨上時の目釘孔とは同じ位置には来ません。その理由の一つには、折返の先端部が仲々思うような角度・状態には折り返せないからです。この部分の孔が表裏少しズレていなければ、むしろ疑がでてきます。さらに言うなら孔を表裏同じ所にもってこなければいけない理由と必要は全くなく、その孔に位置的に目釘を差し入れる事は絶対にないからです。(A-③・④・⑥)で確認していただければ、折返部の総体の厚さ(約1m/m強ぐらい)がよく写されていますし、中心(裏)の小さい半月形状の痕跡と、すぐ左側にある生中心時の孔の右側先端の尖(とがり)が、この折返工作の正真性を一番よくあらわしています。

このように、(A)を見ていただきますと、本刀の寸法(刃長)ぐらいでも約五寸位の磨上・折返は可能となりますから、もっと長い刃長の太刀の中心であれば、私が従来から主張している七寸位の折返は可能となり、貴重な銘は必ず残せますので、一流刀工銘をわざわざ切り取って無銘にする必要は全くないし、絶対にないのであります。また、七寸もの磨上は未見であり、七寸以上の磨上は最悪でも額銘にすればいい訳であります。

こうした点が、従来から全くというか、むしろ本阿弥光徳以来考えられていない。光徳あたりは、埋忠家と組んで時の権力者や戦国武将を上手にだましていれば良かった。しかし、戦後から今日に至るまで、所謂、大磨上無銘と称する本阿弥光徳以来の金象嵌も含めた作例を精査することは全くなく、それを鵜呑にしてきたといっていい。

この点について、今からでも精査検討することは決して遅くはないと確信しています。
(文責・中原信夫 令和二年三月三日)

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