刀装具の考古学 HOME
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刀装具の価値基準

古くて希少な特注品と新しい大量の規格品。

現存する刀装具(主に小柄・笄・目貫)は、一般的に室町中期の作が最古とされています。美術品としての刀装具から見れば、古いものほど歴史的価値と貴重性が高くなるのは当然です。
豊臣秀吉の刀狩によって下手(げて)作の数物(かずもの)は潰され高品質の上手(じょうて)作が生き残った室町中期から桃山期までの小道具は、技術と感性のオリジナリティが高く、加えて希少性といった視点からもっとも高く評価するのはごく自然でしょう。次いで効率化を進めて製作技法に変化(進化)が表れた桃山期の終りから江戸初期は、古雅な感性を受け継ぎながらも匠の技が薄れてゆきます。そして規格品が大量に製作されはじめた江戸初期から江戸中期は、実用性や趣よりも写実的表現に傾倒していき、最後は古い製作技術が見られなくなり、工業製品の様になった江戸後期・幕末から明治初頭へと続きます。
一作一作手作りされ、オリジナリティを備えた価値基準からみれば、時代が下がるにしたがい品質評価は低くせざるを得ません。当店はこれを基本として、実用美(機能性)と装飾美(デザイン性)に独創性を加味し、評価の価値基準としています。例えるなら、少し綻びているけど全て手作りのオーダーメイドのスーツか、きれいで新品同様だけど量販店に大量に並んでいる規格品のスーツ、どちらを選びますか?といった類いと同じ価値基準です。もちろん当店は、綻びのある一点物を選びます。なにせ古美術品ですから・・・

時代による価値評価

剥がれた金板を古雅と見るか、それとも破れたボロと見るか。

刀装具の時代を極める基準として有用なのが、色絵の技法による区分です。特に金の薄板を使った「ウットリ」は室町中・後期から桃山期の古い作に多く、時代が下がるにしたがってこれらの技法はほとんど見かけなくなります。技巧的な評価に加え、破れ剥がれてもその残った様が優雅な古調の風合いを見せ、愛好家達からは価値のある作品と捉えられています。これと似たものに「袋着(ふくろぎせ)」がありますが、こちらは桃山期あたりの技術革新で使われ出した鑞付(ろうづけ)を用いた技法といわれており、際端(きばた)の所作(しょさ)に違いがありますが見極めが難しく、よくウットリと混同されがちです。また鑑定書では、両者の違いを区別していないと思われるケースもあります。留意すべきは室町期以前より江戸期まで長年にわたって作例がある鍍金(ときん:アマルガム)で、擦れによる独特の風合いを好む愛好家もいます。さらに「象嵌(ぞうがん)」、江戸初期以降の多岐にわたる「色絵」など、着色の手法や所作、擦れの状態や金板の風合などから各技法を見極める眼が求められます。古さの順としては大まかに、ウットリ→袋着→色絵と見てよいのではないでしょうか(鍍金は時代を特定しにくい)。

デフォルメされた象徴的表現から、リアリティを求めた写実的表現へ。

三つ目の評価基準として、造りが上げられます。紋を本体から彫出したのか、据紋(すえもん)なのか? 材質は赤銅(しゃくどう)、山銅(やまがね)、四分一(しぶいち)、金無垢なのか? そして肉置(にくおき)や寸法といった体配(たいはい)を考慮して時代区分と品質を極めています。
たとえば笄なら、赤銅地に据紋高彫、金ウットリ色絵、蕨手(わらびて)金といった仕様であれば、ある程度は古くて(室町後期から桃山期)品質の高い作とみなせます。もちろん、地色や彫の技巧も見所のひとつです。体配も古い時代ほど定寸(7寸)ではなく、少し大きめの寸法が多く、肉置も厚くフックラしており、江戸初期から特に中期以降の薄い定寸の笄と比較すれば明瞭に判別出来ます。
姿による時代区別が意外に容易なのは、実は紋(画題)のデザインです。デザインというのは時代の流行や感性が如実に表れます。江戸初期頃までの古い小道具のデザインは、身の回りにある自然界の植物・動物・海産物、そして架空の生物、神事、道具などをテーマとして、まるでモニュメントやマークのように強くデフォルメされた表現が多く、大概何かの願望や意味が込められています。それに対して江戸中期以降の作になると、人物や風景・情景といったテーマが多くなりリアリティのある絵画的・写実的表現に変化していきます。どちらを支持するかは好みの問題です。

手擦れのない七子地? そして埃手垢を洗剤で洗い落とす愚行。

小道具は古美術とはいえ、なるべく綺麗で健全度の高いものが好まれます。確かにこれはもっともな話です。しかし最近の傾向を見ると、最近出来上がったかの様な七子(ななこ:魚子)がほとんど擦れていないものや、埃手垢(ほこりてあか)が全く見当たらないものが紹介されていたりします。程度の差はあれ、七子の手擦がない作は要注意。浜モノ(輸出用)や明治以降か現代ものと断言しても良いくらいです。皆さんが、まさか大名家から出た献上品などという戯言を信じているとは思いたくありません。その類いの作が市場に選べるほど出てくることなど、まずありえません。逆に言えば、手擦は古さの証明であり、それだけ重用されてきた証でもあるのです。
そして埃手垢もまた同じ。長年にわたって使われてきた故に、紋の際端(きばた)や凹凸、縁(へり)にこびりついた埃手垢を邪魔扱いすることは残念です。確かに他人の手垢がついたものと考えれば、無垢を好む人には不必要な代物なのでしょう。しかし、これも時代の証明であり、取り除くことはせっかくの証明書を破り捨てる様なものです。おまけに取り除いてきれいに洗ってしまうと実際よりも若く見えてしまいます。へたをすれば、色絵を剥がしてしまったり、売却時に時代を若く見られてしまうことにも。洗剤で洗う様なことは絶対にやってはいけないのです。このように手擦や埃手垢は、大事な時代考証の物証であり、極端に忌み嫌う所作ではありません。むしろ歓迎すべきことと考えています。

確証のない金工区分と後藤家上三代の存在。

銘や流派の極(きわめ)をどこまで信用していますか・・・この極の根拠を遡っていけば、九代・後藤程乗が基礎を作ったと考えざるをえませんし、江戸時代に書かれた『後藤家彫亀鑑』も大きなポイントです。そこまでは良いのですが、自身の祖父あたりまでの作を極めるのは頷けます。しかし100年以上も前(室町後期)の上三代(かみさんだい)の極をするとなると、その根拠はどこにあるのでしょう。それまでは銘もなく仕事帳も未だ公表されていません。内容にしても、所作に関する図解・解説がほとんどですが、見所としては納得出来る点が多いことも事実です。おそらく古い目利書を基にした伝えられた技法と口伝によるものでしょう。ただし、上三代の存在を証明するものが系図の外になく、それは伝承と見るべきでしょう。
銘にしても四代・光乗あたりから見られるとされていますが、小道具の銘は刀の銘とは違って真偽はいたって曖昧で、偽銘(ぎめい)・追銘(おいめい・おっかけめい)は容易と言わざるを得ません。さらに古金工(こきんこう)、古美濃(こみの)、京金工といった区分も確かな確証があるわけでもなく、まさか、大先生が言われたからとか、通説・俗説をそのまま基準にしているとは信じたくありません。それ故当店は基本的に在銘作を取扱っていません。あくまで時代を示す所作を積み上げ、流派や鑑定書に左右されずその品質を評価することが大切だと信じています。

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