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INTELLIGENCE
笄の見方

長さと肉置に表れる時代差。

笄の時代をみる第一歩は、その長さに着目するとよいでしょう。定寸(じょうすん)かと思われる7寸(約21cm)の笄は、江戸初期の寛永前後から多くなり、江戸中期以降は殆んどがこの定寸に近い長さです。では桃山以前の笄はというと、長さに制約はなかったようで、定寸より1~2cmほど長いものが特徴です。幅も長さに比例して少し広いものが多く、定寸サイズより一回り大きく感じられます。ただ、幕末期にもかなり大きなものが作られていますので、他の特徴を参考にして判断することが必要です。体配ではもう一つ、時代の特徴があります。江戸初期以前の古い笄は肉置が豊かで全体的にフックラしており、手にした時に長さも手伝って存在感があります。新しい笄は厚み(本体部・特に胴部分)が薄手の造が多く、少し華奢な感じを受けます。(ただ、新しくとも上手の作はその限りではありません。)
形状から見た場合、あくまで通説ですが耳の立上り角度と首のラインに違いがあるとされています。古いものは耳の立ち上りが緩やかで、首が長めで緩い弧を描くとされ、新しいものは耳の立ち上りが急で、首が短く肩が張った角張った形状とされます。ただし、流派や上手・下手作によってまちまちですから、一応の目安としてください。他には、棹や裏面に金色絵を施した割継(わりつぎ)・削継(けずりつぎ・そぎつげ)といった所作があれば、一部を除いて新しい作と考えてよいでしょう。これらは江戸中期以降の京金工や後藤・加賀後藤に多いようです。

時代は造の所作に表れる。

笄の地板(紋)の造は重要で、時代を見極める大きなポイントです。これは小柄の見方と同じで、地板と小縁の合せ目を見て、明瞭な合せ目が見えたり、七子の円の粒が途中で切れていたりすれば、別に作った地板を嵌め込んだ証拠です。この手の所作は江戸初期以降に一般的になった新しい作と見ます。そうではなく本体から削り出した高肉彫であれば、ある程度古い作とされます。ある程度と言ったのは、山銅で作った作(いわゆる時代笄と呼ばれる作)の中に、江戸期以降に作られたものがあるためで、時代笄は古いなどと一色単にみることは要注意です。
次に画題の紋ですが、古い作には紋が高いものが多く、新しい作は背が低くなる傾向があります。そしてこの紋が据紋なのか、それとも本体の肉置から削り出した高彫なのかを確認します。据紋ならば地板との隙間や際端の七子の隠れ状態で確認します。古いとされる大概の据紋は、紋を裏からリベットで留めているため、その所作が表れます。表側(紋の上から)から留めた例もありますが、前者に較べれば時代は下がります。ちなみに古美濃と呼ばれる作は垂直に近い切り立った鋤出彫(すきだしぼり)が特徴とされていますが、他の所作や姿・体配・画題から総合的に判断するべきで、鋤出彫だからといって一概に古い、または古美濃とはいえません。もしこれが地板嵌込の所作が確認出来れば、室町期の古い作とは極められなくなります。

笄にも表れる擦れと材料の差。

笄も小柄ほどではありませんが擦れが出ます。この所作もまた、全然ないなどという作は信用出来ません。笄の場合、鞘から引っ張り出す時に摘む耳と、指で押し出す木瓜側の紋周辺(表の上部)と七子が擦れます。ちなみに、そこに位置する蕨手が擦れていたりしているのは、これが大きな原因でしょう。地板部の七子(波地・石目地も含む)は、紋のデザインによって擦れ加減が全く異なります。地板全体に広がった背の高い紋であれば地の減りは少なく紋の擦れが目立ちます。、逆に紋が低く地の露出部が広ければそれだけ紋も地も擦れ具合が大きくなります。(本サイト・中原フォーラム/刀装具の研究/小柄と笄について〜その2を参照)
材質は時代を通して、高級な上手作に多い赤銅、数物などの下手作に多い山銅が殆んどで、江戸後期になると鉄製の笄も見られるようになります。赤銅地の笄は七子の処理も上手で、細かく粒の揃った丁寧な作が多い反面、山銅地の七子は荒く大きめで蒔き方も不揃いな作が多いようです。これは高級品、普及品といった類いの話で必然的なものだと思われます。ただ、山銅の中にも、七子の蒔き方や彫の所作、そして色絵の施し方が丁寧で思わず唸ってしまうような作もあり、価値判断の難しい例もあります。

その金の蕨手は後世の所作かもしれません。

蕨手(わらびて)の形状によって、ある程度時代と流派を振り分けられます。古い作にみられる蕨手の形状は、立ち上りから二手に分かれはじめ開きが大きい傾向にあります。新しい作の蕨手は、途中まで延びてから上の方で分かれ、まるで勢いのある噴水のような形状をしています。流派によっても異なりますが、時代の流行なのか、新古を極める上で大きな助けになります。
気になることを一つ・・・蕨手の金象嵌ですが、後世の加工による作例が思った以上に多いということです。最初から金象嵌を施された生の例は意外に少ないのかもしれません。見極めとしては、象嵌された金が紋に使われている金と同質か、象嵌の所作が自然で丁寧か、元々蕨手を入れるように計算されたスペースと形状デザインなのか、といったことを十分に見極める必要があります。後世になって、それも現代になってかなりの数が加工されたと聞きます。あくまで噂だけの話ならよいのですが・・・。
因みに噂ならぬ通説への疑問も一つ。笄の使用目的は、髪を結ったり繕ったりするためといわれていますが、実は定かでありません。まあ形状的にみて納得したいところですが、真相は闇の中。ただ、納得出来ない説がひとつまかり通っています。それは耳と呼ばれる笄の一番上の部分で、これは耳を掻くものとして名高い著名人たちが解説しているのです。ありえません・・・短すぎます(お持ちの方はよろしければ、実際に試してください。)。ましてや耳を掻いた不浄な道具を拵に装着して、上目の人に相対することなど無礼千万の行為です。どちらを信じるかは皆さんにお任せしますが、耳と呼ばれるから耳掻きに使うなどと、いつから言われ出したのでしょう。

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