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鐔の見方

大量に流通している鉄鐔をどうみるか。

鐔は時代と真偽を見極めることが極めて難しいのですが、こんな魅力のある装剣具はありません。しかし、WEBで紹介されている大量の鐔をはじめ、現在、世の中に流通している鐔の数量を皆さんどう思われますか。上古太刀の時代からあったとされる鐔ですが、革製や山銅製がほとんどで室町期に入ってからでも鉄鐔の現存数は極めて少なく、江戸前期の終わり頃から主流になったと思われます。しかし、残念ながらこの事は余り認識されていません。戦には大量の鐔が必要ですが、それのために最重要な戦略物資である貴重な鉄を使った鐔、ましてや、現今、目にしているようなデザインされた鐔を充てがうのは不合理です。昔は鉄が貴重な時代であったという概念が今では全くありません。仮に鉄鐔であったとしても、鉄板に孔を空けただけの程度のものでしょう。そういう数物は再利用され、今に残っていないのが現状なのです。
ここから見えてくるのは、本来皆さんが思っている鐔(江戸期以前のもの)は想像以上に現存が少ないという現実です。桃山期以前の作は一部(伝来品や山銅鐔など)を除きほぼ皆無、江戸初期から前期は多少散見される程度、江戸中期以降になってやっと隆盛を迎えます。これを全て合わせても現在流通している鐔に占める割合はおそらく約1〜2割程度と推測されます。鐔研究家の鶴飼富祐氏は著書『新説 刀鐔考』の中で、時代鐔は約1割、他は明治期以降に作られた新物(倣作)と言っています。そして今日もまた真新しい倣古作が生まれているとも・・・。そうでなければ古刀匠・古甲冑師などは出てきません。
これらの考察と同時に言えることは、鉄鐔の時代区分は不明瞭で誰にもわからないということです。形状、錆状態、彫や象嵌、画題デザイン、銘等から絞り込んでいくことはある程度は可能だと思われますが、果たしてそれが新物や偽物ではないと言い切れるか・・・論理的、科学的な視点での極は現時点では行われていません。悪く言えば、見た目のイメージだけでの極なのです。鐔の現実を考慮すれば、江戸前期以降の作として見所の視点を捉えるべきかもしれません。

意外と多い鋳物鐔

鐔の種類には本体(地金)の造込や材料に違いによっていくつかに分けれらます。まずは鉄で作られた鉄鐔。鉄鐔には、鍛練した鍛鐔と型に流し込んだ鋳物があります。鋳物鐔は昔の成型技術が進んでいた証拠でもあり、同時に若いとも言えます。代表的なものには南蛮などが有名で、複雑で入り組んだ透の紋様・情景・布目象嵌が特徴です。普通の板鐔も意外に鋳物が多く、バリの残りやすい側面や際端(きばた)をよくよく観察しないと判別できないくらいの精度です。ちなみに鋳物鐔は、硬い物で叩くと割れるそうです。(確かにそうだとは思いますが、試さないようにご注意を。)
鍛えた鐔の平地には、磨地、鎚目地、石目地、縮緬地、杢目地など種々多様で、それぞれ流派や工人たちの特徴があります。注意すべきは鎚目(つちめ)地で、これは地を均一(平面状)に整えた状態で、地に凸凹のある所作ではないということです。よく逆の説明をしている書籍や文献がありますが、大きな誤解です。鍛造した鉄鐔には鉄骨が現れているものがあり、これは時代を極める最大の見所の一つで、江戸初期以前の古い鉄鐔によく出ると言われ、その形状も多種多様です。しかし、意図的に鉄骨風に見せた新物も非常に多く、注意すべき要点です。

ある程度の古さはある、しかし・・・

鉄鐔以外には銅が主体の赤銅鐔、山銅鐔、素銅鐔、真鍮象嵌鐔、四分一鐔などがあり、ほとんど存在しないであろう金無垢の鐔などの情報も出回っているようです。時代的に言えば、銅鐔以外は結構新しい鐔と考えて良さそうです。真鍮鐔で有名な室町期のいわゆる応仁鐔も例外ではなく、当時、金よりも高価な真鍮で作ったという事自体に疑問がつきます。あるとしたら国指定品級の代物。事実、著名な大家?とされる先生さえ、自分の著書の中で堂々と偽物を紹介して褒め称えている有様です。それくらい銅鐔や真鍮象嵌鐔は古く見えるようで、実際、鉄鐔より古いとされる割合は高いのです。また、鎌倉時代後期の日本の貿易船(沈没船・朝鮮木浦沖)から発見された銅鐔(太刀鐔)もありますが、一般的に時代の上がるものでは室町後期とされる作もある一方で、幕末まで時代が下がる作もあるのも事実。赤銅や山銅の素朴で古風な鐔だからといって一概に古金工とするのは無責任すぎる極だと思われます。その理由はおそらく色合と地に蒔いた七子にあるのかもしれません。その中でも特に縦七子地は古いとされていて、ある程度是認できる所作の一つと言えるかもしれませんが、時代が下がる縦七子地もあると思っています。。
そして三枚貼合構造の鐔をどう見るかです。画題を型で取った、または彫り上げた表裏の薄板で素銅地をサンドイッチした三枚貼合構造の鐔・・・彫ミスやコストを最少限にするための工夫と捉えるのが自然かと思われます。やはり物資が豊かになる江戸中期より前の造込と考えられ、ある意味数物でしょうが、古さの証明でもあるわけです。中には三枚の地板を鑞付ではなくリベット留した作例さえあります。

真上からではなく真横から見た形状

一般論としてですが、形状としては丸形、角形、木瓜形、奇抜な形状も含めどの時代にもあり、これは趣向の域。ただ真横から見た重ね(厚み)は時代や流行の特徴がみてとれ、切羽台が平地よりも低くなっている中低(なかびく)、その逆に高くなっているのが中高(なかだか)、切羽台からなだらかに漸次薄くなったその名の通りの碁石形など、切羽台を起点とした形状に違いがあります。
中低は古い作に多いとされ、碁石形は江戸中期以降に流行したとされています。ただ重ねの薄い厚いは用途や流派によって異なるため一概に時代をなかなか限定しにくいものですが、拵の柄形から改めて考えて見直すべきでしょう。因みに打返耳ですが、幕末期の新しいものほど打返の返が大きく、切り立った感じで、手にきつくひっかかるような感触です。

見た目の時代に惑わされない。

鐔は時代による本来の構造的差異が少ないので、どうしても見た目のイメージ(種々の潜入観念と知識?)でのみ判断しがちになります。錆の朽込や色絵などの象嵌などはあえて施したのか後補の所作か、また経年の風合なのかを見極める必要があります。錆状態などは地の表面や色合の状態はもちろん、櫃孔や透の側面(透際)なども妙な朽ち方をしてないか確認します。
俗に信玄鐔といわれる鐔は古い作ではなく、幕末、悪くすると明治期の輸出用の御土産鐔です。平安城象嵌(与四郎鐔)も似た感じで、確かに本歌は桃山期の作でしょうが、それはほんの一握り。信玄鐔と同じで幕末〜明治に大量に作られた作がほとんどです。真鍮は、短期間で古風な錆びた風合いになるため時代の判断がとても難しい鐔の一つです。真鍮もそうですが素銅もまた錆付しやすい材料で、中心櫃孔に施された素銅の責金は時代の判断材料にはなりません。「よく十円玉を削って責金を作ったよ」と刀剣店の笑い話にあるぐらいです。今もどこかでせっせと十円玉を削ったり、土中に鉄鐔を埋めたりしているのかもしれません。いえ、今は科学の時代、もっと高度で洗練された胡魔化し方が確立しているとみるべきです。

一番厄介な極所

江戸中期以降の作がほとんどを占める鐔では、在銘の作が多く存在します。ある意味、在銘の方が芳しいのは確かですが、偽銘や追掛銘ではないという前提です。当然と言えば当然ですが、これが厄介で、小柄・笄と同じように刀と違って偽銘を入れやすいのです。古い作も新しい作も関係なくかなりの数の偽物が蔓延していると思った方が無難でしょう。
一般的によく言われているのは、銘は中心櫃孔の中心(ちゅうしん)ラインに「ハ」の字状に刻られた銘は不可、平行に近く刻ってあるのを一応、是としています。また、中心櫃孔が拡げられていないのに字画が途切れているのもどうかと。左右に刻った銘の右側部が左側部より低い位置から刻ってあるのも再考する余地があります。
細かい鑚使いや字体の判別は極めて難しく、かなりの経験と知識が求められます。銘の画像が載った文献を参考にするか、自己判断するしか方法がないのが現状。しかしその文献にさえ、偽物が載っているのが現実。最善策は数多くの作を自分の目で、手で確かめて、研鑽していくのが早道なのかもしれません。

写物に溢れた鐔のデザイン

鐔の画題は他の装剣具と同じように、そのデザイン、構図、デフォルメといった時代的特徴があります。時代が上がれば簡素で素朴なデフォルメ表現が強く、新しくなるほど徐々に繊細で緻密な写実的描写へと移行し、情景や動きのある絵画的な表現、または奇抜な意匠へ変遷していきます。他の装剣具と少し異なるのは、鐔は江戸前期の終わり頃から急増することで、それに伴ってか鐔専門の工人(鐔工)が台頭することです。おのずと実用から”見せる鐔“へと変化し、描写も技術も装飾性を帯び明治期まで続きます。逆にいえば、江戸前期以前の古い鐔は数少なく、貴重だとも言えます。
デザインという視点から鐔を選ぶ際、何を基準にするか・・・これは愛好家それぞれが決めることですが、価値観という点からは、オリジナリティは重要なポイントです。新古を問わずデザインの最初の一枚(オリジナル)は極めて貴重で、写しに写しを重ね、崩れたデザインにはない魅力があるといってよいでしょう。それとは別に彫や表現の技術を評価して楽しめるのも愛好家の特権の一つ。時代で選ぶ、デザインで選ぶ、彫で選ぶ、風合い・・・周りに踊らされることなく自分の選定基準・好みを持つことをお勧めします。その前に、出来そのものが素晴しいと認められる作でなければいけないと思います。

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