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♮ 低質すぎる・・・日刀保の入札鑑定会-3

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

前回、前々回に引き続き、入札鑑定会について述べさせていただく。

従来から、こうした入札鑑定会では、参加者側のモラルや考え方については、よく語られているが、逆に判者(はんじゃ)講師側については殆ど語られなかった。従って、私の考えるところを明白に書いておきたい。

入札そのものを単に「当り」など得点につながる方法を現在の日刀保は一応「悪者」としてみるが、入札者が鑑定刀にどういうような入札をするかを見極めて、後での解説、質疑応答に十分に活用していくべきという考え方を私はとっているつもりである。つまり、入札者の力量と、そして好き嫌いまで含めて静観しているのである。しかも、入札鑑定会には様々なレベルの人達が参加する。ベテランからビギナーまで。であるから、同じ鑑定刀にビギナーが入札した内容と、ベテランが入札したのとを同列に扱ってはならない。

 

確かに決まった回答はあるが、私はそうした回答はあくまでも、その場、その場、ケースバイケースで変える事が往々にしてある。これ位ができなければ、入札鑑定の真の意義が理解されない。どの本にでも書いてあるような作風ならビギナーでも当てやすいが、そうでない作風や、あまり知られていないレベルの作刀、作風に対して、どのように入札するか。この辺りが「ミソ」である。

私の師・村上孝介先生はよく「当ててよい刀と同然をとるべき刀がある。これを見極めて判者をやらないと、初心者(ビギナー)は育たないよ。」と言われていた。要は入札終了までのプロセスが一番大事で、日刀保が「悪者」としている得点はあくまでも目安にすぎない。

 

だから入札鑑定会で一番問われているのは、判者・講師の力量であるとも言える。判子で押したように回答だけして、挙げ句の果てには質問者と喧嘩をするような判者・講師は完全に落第であって、入札者各々の力量をその入札内容で的確に判断し、各々の入札者に回答なり、説明なり、質疑応答で応えながら、見所や考え方を伝えていくのである。また、判者・講師が鑑定刀を選択する際も、その刀で入札者に何を教えるのか、何をわかってもらうかを考えた上で決定する。

私が40年以上にわたりやってきた判者講師を振り返ってみると、本阿弥光遜の考えた方法しか残されていないと痛感する。はっきりいって、本間順治氏や佐藤貫一氏主導による現在の日刀保の入札鑑定会では欠陥がありすぎる。本阿弥光遜方式でも完璧とはいえないが、新刀と新々刀の区別さえしない日刀保の方式は質が悪すぎる事は明白である。
(文責・中原信夫)

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