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INTELLIGENCE

♮ 一振の追憶 その39(薩州住藤原正盛)

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

脇指  銘
薩州住藤原正盛

刃長/一尺三寸四分五厘、反/二分、平造、行の棟、中心は生で孔は一つ。
 
 
[地肌]
小板目肌に板目肌が交じって総体に流れ心があり、肌立ち気味となる。
[刃文]
沸出来、沸匂の深い弯乱に五の目交じり、皆焼調となる。刃中に太い足が入り、砂流が頻りに所作する。
[鋩子]
島刃状となり深く、先は中丸状で掃掛が激しく、裏には芋蔓が出る。棟焼が下迄続く。

薩摩の正盛は殆ど見かけないもので、しかも本刀は一尺三寸余の平造です。

『図録 薩摩の刀と鐔』(福永酔剣先生著 昭和四十五年 雄山閣刊)では「弓削系の祖、通称藤作、初名正道、初め丸田惣左衛門正房に入門、のち主水正正清の弟子となり、師の代銘までした。宝暦九年没」とあります。

世上、主水正正清は比較的よくみかけますが、その銘字について福永先生は同書で、正清本人の刻銘、そして子の正近の代銘、そして正盛の代銘と区別しておられます。

 

本刀については、同書に写真で掲載されているのは以前から知っていましたが、村上先生のお供で日刀保鹿児島県支部の例会へ行っている時代には拝見出来ませんでした。昭和五十六年か五十七年頃に福永先生の紹介で、鹿児島市在住の本刀の旧所有者の方の主催する研究会(刀剣保存会系の部会)に私を講師として呼んでいただく事になり、その初回の折に本刀を拝見させていただきたいとお願いしましたが、その時は既にやむを得ない事情で別の人に所有権が移ってしまっていて、拝見出来ませんでした。その本刀が、二年程前、私の知人から本刀の所在を知らされたので、早速に拝借をさせていただき、研究会で使わせていただいたという経緯があります。

 

したがって、正盛は本刀しか経眼がないのですが、中心銘の位置や刃文からいうと、本刀は初めの師匠丸田惣左衛門正房に近いのかとも思われます。

いずれにしても、三十年以上前から拝見したいと思っていたのが、私の手許にきた時の嬉しさは何とも言えないものがありました。
(文責・中原信夫 平成二十九年四月)

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