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♮ 入札鑑定会での方式と同然表〈その二〉

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

前回述べた新刀と新々刀を区分しないで回答することが行われているのは、主に日刀保である。まあ、日本で一番新しく設立された団体のやる事でもあり、創立者の一人が、本阿弥光遜がやっていた事に何でも反対する人のコンプレックスであったかもしれず、致し方がないが、日刀保の旧支部の一部では、本阿弥系の古刀・新刀・新々刀の三区分が支部創立以来、回答・採点方式が行われている例もある。

 

さて、現在の入札鑑定では同じ鑑定刀に対して三回の入札が可能であるが、これには日刀保もなぜか全く異を唱えず三回を行なっている。

では、この三回という根拠はどこにあるのであろうか。その根源は戦前の本阿弥系研究会の入札方式である。

戦前、本阿弥光遜の日本刀研究会では奥傳位所有者はいつも一回限りの入札、つまり、いつも一本入札である。中傳位は二回迄の入札、初傳位以下は三回迄の入札となっていた。ただ、私はこの回数にはこだわらず何回入札しても文句は言わない方式である。つまり、ベテランと初心者を区別しない方がおかしいし、三回位では時代と国を的確に捉えられない鑑定刀もある。しかし、戦後は民主刀剣会?になって入札者全てを初傳位?とみなしての機会均等の三回入札方式になった?・・・。

その三回入札方法をパクりながら、新刀と新々刀の区別をしないのは自己撞着である。つまり、三回入札は入門者・初心者あたりは、入札鑑定刀が古刀か新刀か新々刀かを第一番に考えてくださいとの誘導的意味である。

今でも一般の初心者教育の時は「この刀は古刀でしょうか、新刀でしょうか、新々刀でしょうかを考えてください」と誘導するのが多い。なのに、二区分(古刀と新刀・新々刀)での回答はまさに矛盾・自己撞着もいいところである。しかも、現存刀が一番多いのが新刀と新々刀である。したがって、新刀か新々刀かを区別(鑑定)するのが一番的確な鑑定であろう。

 

さて、次に同然表での「当り(適中)」と「(当り)同然」は、「当り」は刀工名の適中である。そして、師弟・親子・兄弟については「同然」と回答する。つまり、「当ったのも同じ」という意味で「(当り)同然」なのである。しかし、その採点方法は、本阿弥光遜系は、初札の「当り」は12点、「同然」は10点とし、二札、三札目では各々2点づつ減点する方式である。

日刀保は初札「当り」20点、「同然」15点、以下二札・三札と5点づつ減点という方式である。

本阿弥光遜系の採点方式には大きな意味があるが、この方式では初札の10点満点(「同然」)で良し(十分)として一応の合格点(及第)とし、その上、個名(刀工名)までの適中には、おまけ(ボーナス)的にプラスアルファとして2点を出す。これは製作年代と国・流派を最重要視する基本姿勢がある。

しかし、日刀保の初札「当り」20点は、20点満点を基準(当てて当り前)と考えて、「同然」は5点減点という考え方である。この二つの方式には大きな相違、つまり、鑑定という事に対する捉え方に基本的・根本的な違いが如実に出ている。もっとも、私は点数には拘らないし、採点は自分で集計できる。それより、入札の内容である。

 

つまり、鑑定刀に使用した場合同一刀工でも、作風の違いが少ないがある場合、どうしてもその刀工のよくある作風に見えない場合には、どう回答するかである。私は村上孝介先生の回答を参考にして、「作柄(さくがら〈作風〉)当り」「準当り」「作柄同然」「準同然」という回答をよく使用する。これは入札者の経年数や経験度を頭に入れて、初心者には「準当り」「準同然」を出しても、ベテラン入札者にこれらの回答を出さない場合も多くある。また、「作柄当り」「作柄同然」は鑑定刀の出来により同然表には捉われない例外的(臨時の特例的)な措置としての回答である。こうしないと愛好家は育っていかない。

同然表は点数勘定表ではなく、愛好家育成の基本目標である。絶対に個名の当らない刀を覚えていて、入札鑑定の時に当る人を褒めるケースが従来から多くあるが如何であろうか。
(文責・中原信夫  令和二年二月四日)

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