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INTELLIGENCE

+ 拵について〜その2

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

拵の製作年代の話を前に書いたので、今回もその拵について書かせて頂こうと思います。

従来の考え方や教え方からすると、江戸時代のことは全てわかっているような感じでしたが、前回の本欄で、そうした既成概念を否定しておきました。否定したのは、既にわかっているという概念を否定したということであり、不明であるという事を全面に押し出したに過ぎません。つまり、全てが手探り状態としかいえない混沌とした状態であると考えるべきです。

 

さて、私が従来から一番興味を持っているのは、戦国時代の拵であり、その中でも実際に戦闘に使用された拵です。江戸時代もそうですが、戦国時代以前にも武士でもハイクラスの人間とそうでない人達のクラス別(わけ)は厳然とあった訳で、当然、何百人、何千人の足軽(戦闘要員であり殆どは農民)はどんな刀を支給され使用していたのでしょうか。それを解明するのは、おそらく100%近く無理でしょう。願わくばタイムマシンに乗って400年〜700年前に行きたいところですが、それも叶いません。

しかし、おそらく少しは推測が可能です。それは、現代人がみれば当時の足軽級の刀の拵は、金具はお粗末であり、拵そのものも考えられない程にお粗末な物であっただろうという点はほぼ推測出来ます。つまり、戦闘で使用される刀や拵はある意味、使い捨てに近いもので、大量生産品であったと考えられます。

その中でも、今回は鞘に注目してみたいと思います。

 

現代では刀を注文し、出来上がるとそれに拵をつけます。先ずは刀身を拵よりも先に考える・・・これはに一理あります。しかし、大量の武器を作り、しかも製作費を出来る限り嵩まないようにしないと、領主はたちまち債務不履行に陥ります。刀身が様々な法量になれば、一々それに合わせて鞘を作らなければなりません。そこで、刀身よりも先に鞘(といっても数物的な鞘)を大量に作ってしまい、その鞘に入る刀身を作ります。こうすれば相当の費用削減が可能となるはずです。つまり、刀身に合わせた鞘ではなく、鞘に合わせた刀身を生産する事なのです。この方法なら足軽用の武器は十分賄えます。

現代の居合大会会場で、安い空鞘(からさや・あきざや)を武道具商が並べて売っているのと同じ発想です。

当然ですが、高級武士階級の刀は、この様にはしなかったと思われ、そうした作例で現在まで残されている極く僅かな拵があります。

 

大量に作られた鞘は、塗もおそらくそんなに回数は塗らず、下地も十分に施さないはずで、柄も布や革を紐にして巻くのがせいぜいでしょう。したがって、鮫皮の使用などは、とんでもないことで、良くて革を柄下地に貼るのがせいぜい。金具にしても目貫はなく、縁だけは金属で作らざるを得ないでしょうから、素銅の粗末な物で、頭は角(つの)製でしょう。鍔は鉄地などはとんでもありません。素銅にしても高級であったと思われます。ならば鍔はどんな材料で作るのでしょうか。おそらく革鍔でしょう。当然、小柄や笄を装着するなど全く考えられず、栗型・鐺にしても金属ではなくもちろん角製。角や革、布なら自国(領国)内で生産すれば供給も十分で、同規格のものにしておけば大量に作れますので製造費も安くできます。

およそこんな拵ではなかったかと推測しています。また、その刀身や拵が破棄される時は、金属類は溶かして再利用するのです。

したがって、このような数物の大量生産拵は、伝世して伝来することなど、まず100%ないでしょう。だからその形状などの推測が極めて難しくなるのです。

 

現代でも100円ショップの安い製品は耐久力もないし、良質の物もないから、用済みになれば全てすぐに破棄されますが、それと同じことなのですが100円ショップの商品のリサイクルはしませんし出来ません。

つまり、昔の人の方が考え方が柔軟であった可能性が高く、現代人ほど型式にはまった発想しか出来ない傾向が強くあります。つまり、本欄で言いたかったのは、発想の転換ということです。
(文責 中原信夫)

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