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+ 返角(かえりづの)について〜その3

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

今回は返角の中でも一番の変わり種?の例を紹介したいと思います。

C-1を見てください。これは江戸期の鞘に付帯している返角です。まるで『出べそ』状になって左側へ脚を出したような格好をしています。これは薩摩拵にある独特の形状の返角であり、世上、薩摩拵として紹介される拵の鞘に特有のものです。C-2は、真横から写したもので、C-3は真上からであり、C-1は少し斜目上からの形状で、皆様の頭の中でバーチャルに全形状を描いていただければと思います。

 

さて、既述の通り返角は鞘を差し込んだ帯から、抜けるのを防ぐストッパー的役目もあると述べてきましたが、このCの返角は、ストッパー的役割を果たす事はあまり期待できない構造です。それでいながら、薩摩拵には、ほとんど不可欠のものですし、逆にこの形状の返角があるかないかで薩摩か否かさえ決定しているのです。

これは、最初の返角の稿で述べましたように、拵というのは最初の注文者(所持者)の剣術の流儀にピッタリというか、流儀を全う出来うるような構造にしなければなりません。鞘は必ず帯の間に差し込みますので、その点を重視して構造を決定しますから、それらの構造的特徴が、やがて掟といわれているものになるはずです。勿論、薩摩藩のケースだと全ての武士が薩摩国、大隅国にいたのではありません。江戸定府(江戸でのみ居住)、甚だしいのは一度も鹿児島の地(本国)を踏んだ事のない薩摩藩士もいたはずですから、江戸定府と本国人とは違う形式の拵を指した可能性があります。

また、薩摩藩士の中では示現流が多く、その示現流も多くの流派に別れていますので、その多くの流れの教、つまり刀の使い方を修練するのですから、その拵の方面にも当然、流儀の奥義に根ざしたあらゆる工夫はなされていたと考えられます。私は、不幸にして東郷示現流と薬丸示現流の拵の違いは聞かされていませんので、この方面に詳しい方の指摘を待つ以外にはありません。

 

今回はこのC-1から3のような形状が薩摩鞘としてみる最低限の見所を示したということを述べておきます。ただ、このような形状だと、鞘ごと刀を抜いてしまうのには丁度、具合がいいという事を聞きます。つまり、鞘に刀身が入ったまま帯から引き抜き、相手を打ち据える。つまり、抜刀はしていない。という事になります。

薩摩拵の鐔には、有名な『鐔留』と称する小さな孔が開けてあり、そこに紐や針金を通して栗型と結び、すぐに抜刀できないように、また、しないように工夫してあるという伝承があります。鯉口を切らないで鞘に刀身が入ったまま相手を斬りつければ、恐らく鞘は割れてしまい、刀身で斬りつけたのと同じ効果はあるといわれていますが、表向きには抜刀の禁は犯していないということになりましょう。

いずれにしても、そのような工夫のひとつが、この返角にも見られるのかもしれません。
(文責・中原信夫)

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