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INTELLIGENCE

♯ 日本人が持つ美術品のDNA

Copywritting by Nobuo Nakahara

私が40年以上にわたり従事してきた仕事は、美術品、特に刀、小道具の社会であるが、どうして刀、小道具が愛好されなくなったのかという事をよく考える。おそらくその原因の奥にあるのは、例えば小道具、拵の図案の良さを理解(わかる)する感覚が現代には無いに等しいという点に尽きるだろう。特に戦後は使い捨て文化の最たるアメリカに憧れたし、進んで核家族、勝手な個人主義を崇拝した傾向が強い。二百年余の歴史しかないアメリカに、見るべき文化などない。つまり文化のバロメーターは美術品である。

美術品の次元を見れば、その国の現代迄の文化程度がわかるといっても過言ではない。そうすると今の日本はどうかという事を言う前に、美術品のわかりやすい定義を言わざるをえない。

 

美術品とは『作られた当時は実用品であるが、長い年月を経て今、此所に存在するもの』これが美術品である。作るときから美術品を作っていると大言壮語するのは現代日本の人間国宝が、その典型だろう。しかし、日本人に美術品を理解する、又、作り出す能力はなくなったのか。そうではない。日本人にはちゃんとDNAが組み込まれている。ただし、そのDNAが表に出にくい教育をされてきたのであって、その秀でたDNAを引っ張り出すというか、気づかす教育をすれば、必ずやすぐに素晴しい感覚が日本人に蘇ってくるだろう。

 

古来、日本人は色彩や造形に対して極めて独特で柔軟な感覚を持っていた。それらを封じ込めたのが、明治維新という、日本史上での最後の下剋上だろう。一般に高い評価を受ける明治維新ではあるが、私は特に美術品という観点からみて、明治維新は無茶苦茶なものであったと考えている。それは何故か・・・答えは簡単だ。つまり、明治の前の江戸時代は封建制で差別社会であったと捉える見方が、自動的に出てくるからだ。

では、その封建・差別社会であった江戸時代に作られた美術品の感覚の素晴しさを凌ぐものが、明治以降に作られたであろうか。答えは「NO」である。明治中頃迄はまだしも、特に戦後に至っては比較するべくもないだろう。江戸時代よりも、遥かに民主的で自由で材料も豊富、生活も豊かになったのに、品質や造形、色彩が江戸時代よりも劣るとは、どう解釈したらよいのだろうか。

 

私が研究している刀、小道具(拵)には、日本文化、美術の粋(すい)が集約されている。ただし、ひとつお断りしておくが、私は江戸時代が全て良いとは思っていないし、明治時代が全て悪いとも思っていない。しかし、敢えていうのなら、明治時代の欠陥を是正し、江戸時代の良さをうまく取り入れられればと考えている。それを実現するためには、日本の美術品の本当の良さを学校の教育にもっと多く、そして正確な捉え方を教える時間と教師の質の向上を図るのが良いと思っている。

しかし、それが今の文化庁に果たして出来るだろうか。そもそも、文化庁の御役所の正面玄関に揚げてある「文化庁」という看板。あのヘタクソ極まる字を文化庁の御役人、政治家は気がつかないのだ。私なら恥ずかしくて、それこそワープロで打った文字を拡大しておく方がまだましか・・・。
(文責 中原信夫)

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