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INTELLIGENCE

♯ 彷徨う「名物・岡山藤四郎」の行方

Copywritting by Nobuo Nakahara

昨年(平成25年)であったと思うが東京国立博物館(上野)で、今までに存在を知られていなかった粟田口吉光(藤四郎)の短刀が発見されたとの報道(日本経済新聞)があったが、これを発表した係官によれば、この吉光はただものではないとの感があり、調べると所在不明とされてきた「名物・岡山藤四郎」の可能性が高いというものであった。この新聞報道記事を読んだ多くの一般国民(刀剣趣味者ではない人々)は、“さすが国立博物館の学芸員、名刀は見たら、すぐに名刀とわかるのですね・・・”ぐらいの感覚であろうが、私はこの記事を見て、国立博物館の所蔵品の管理の杜撰さ、刀剣に対する無理解の結果であろうと思った。ただし、この記事以降、この短刀についての報道は全くないように思うが、恐らく刀関係者か文化庁から圧力がかかった可能性もある。つまり、大手柄(スクープ)になると思って新聞社に話したのだろうが、何の事はない身から出た大錆(管理不行届)であったとは。結果的には全くお粗末な話となってしまった。

 

では、本欄にどうしてこのようなことを私が書いたのかを話しておく。この発表をした係官(学芸員)は全く事情を知らない真面目な役人であったはずだ。本当に未知の短刀と思って、単に名刀出現と考え、世に知らしめるべく発表した事は想像に難くない。

ただし、この吉光の短刀が名物・岡山藤四郎であるか否かは、現物を見ていない私にはわからないが、岡山藤四郎の来歴、つまり、尾張徳川家から宮中(明治天皇)に上り、その後に国立博物館に寄託ということから、岡山藤四郎である可能性は高い。戦前からこの国立博物館(上野)に技官として奉職した故・辻本直男氏の『図説・刀剣名物帳』(昭和45年・雄山閣刊)では岡山藤四郎について所在不明としている。

しかし、考えてもみなさい。上野博物館(日本美術刀剣保存協会もこの上野の博物館にあった)にあった品物、ことに刀剣であるが、そんな大事な物が何故か未手入のままで放置され、所蔵台帳にも記載もない状態とは全く解せないし、刀を扱う専門の辻本氏が所在不明と自著に堂々とお書きになっている。お役人とすれば一番やってはいけない、言い訳のできないことになりませんか。本物の岡山藤四郎が上野にあって把握しているなら、辻本氏はそう自著に書くはずだ。さらに、この吉光が岡山藤四郎でなかったら、本物の寄託された現物は何処にいったのだろうか。一般家庭からの寄託・寄贈とは全く違う事は前述の通りで、一番大事に扱わなければならない。どう弁明してもこの大矛盾点は言い逃れ不可能で、他の関係者も同様である。辻本氏は私と同じ出身県であるし、先輩でもあり、長きにわたり面識もあった。お役人の典型というべき人であって、長いものには良く巻かれておられたが、そのくせ、その長いものの悪口を裏でよく私は聞かされた。正確に言うと悪口ではなく、真実そのもののことであったが・・・。

 

さて、話を戻すと、長い間、上野博物館におられた人が、その著書にも所在不明と堂々と書いた、その現物とおぼしきものが、何のことはない自分の足許に所蔵管理されていた(否、管理は全くしていなかったから今回の報道記事になった)とは呆れ果てる。

それにしても、天下の国立博物館ともあろう所の管理が、かくもいい加減、杜撰かという気がするが、このような有様なら、終戦直後の赤羽刀についても、色々なデマを含めて、噂が出てくるのは当然だろう。

 

この赤羽刀に関しては、辻本氏は当時の博物館側の直接取扱者の一人であり、私の師・村上孝介先生や私を含めて、何人かの方々が米軍から引渡された状況を目の前で見た証言話を辻本氏から何度も聞いた。もちろん、その事実を辻本氏から聞かされた人たちの現存者は、私以外はもう殆んどいなくなられた。もっとも、辻本氏がまだ生存しておられたなら“私はそんな話をした覚えはない・・・” と、のたまうかも知れない。しかし、赤羽刀引渡に関する辻本氏の証言は、誰の話よりも信憑性があるということが、同氏が奉職されていた役職上からである事を証明できるのである。
(文責 中原信夫)

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