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INTELLIGENCE

♯ 赤羽刀の怪

Copywritting by Nobuo Nakahara

平成21年3月に某新聞によって報道された(財)日本美術刀剣保存協会(当時)に隠されていた無登録の数百本と云われている刀剣がクローズアップされ、平成22年9月29日に行われた警察による日刀保への家宅捜査は衝撃を与えた。平成22年8月中旬に出た機関誌『刀剣美術』では、この数百本の中に赤羽刀が含まれているとの見解が正式に認められたのであった。平成21年3月以来、この無登録刀に赤羽刀が含まれているとの噂はあったのであるが、日刀保が正式に発表したことには謎が出てくる。第一に既に赤羽刀は国有化されていて不明のものは絶対に存在しないはずなのだ。それとも、国の保管した“偽物や再生不可能な刀”が、それに該当するのか。第二に、この無登録刀の中に何本あったのかは知らないが、何の根拠があってそれ等を早々と赤羽刀と確認できたのかという事である。

先般(平成7年)、議員立法によって赤羽刀の国有化が実施されたが、そのほとんどが、全国の美術館等へ譲与されたが、その選別にあたったのは、故・鈴木嘉定氏を中心とした当時の日刀保の理事、学芸員等であり、その任を依頼された何人かの職方等であった。これで全ての赤羽刀の処分は完了しているとされている。そして、国の保管刀を日刀保が代行という話は聞いていない。

 

さて、赤羽刀は実は拾得物扱いであるという事は、全く表に出てこないが、これは立派な事実である。何故なら昭和22年12月1日朝に、進駐軍(米軍)が木箱に入れた大量の刀(約5,000本)を、当時の帝室博物館(現・上野国立博物館)の正面前に放り出していったのであって、本数も未確認であり、当然、受取証もないのである。この事実は当時の博物館職員、故・辻本直男氏が証言しているし、私や複数の人たちも生前に本人より何度も聞いている。この大量の刀を一応、博物館の地下倉庫へ搬入した。そして昭和24年4月に全リストが“ガリ版刷”で印刷され、関東地方の主要警察署に配布(部数不明)されたという。これは刀を供出した人からの返還申出に対応する為であった。

 

そのリストはコピーであるが、私の手許に現存する。原本は私の知る限り、少なくとも私がコピーした一冊が現存している。そこには50音順で刀工名が区別されていて、番号が付されている。中心に白ペンキで4桁迄の通し番号が施され、私はその何本かを実際に譲与された博物館で確認し、番号も24年のリストと一致した例を見ている。つまり今回、日刀保で発見された赤羽刀には、その番号は付されていたのか。もし、番号が付されていなければ、どのような方法と経緯で赤羽刀と確認したのであろうか。昭和22年12月1日に一応、返還された赤羽刀は、保管は上野国立博物館の地下倉庫、調査は日刀保(昭和23年に日刀保設立、事務所等は上野国立博物館の地下にあった)、返還は警察という役割分担でスタートしている。したがって、今回の無登録刀の中の赤羽刀は昭和24年以前に故意に隠蔽されたか、もしくは偽銘・再生不可能として処分された刀の可能性しかなくなり、平成22年9月の家宅捜査の“赤羽刀横領容疑”という点でも、少し次元の違う方向が出てくる。

 

私は平成23年1月より2回にわたり、『刀剣と歴史』(日本刀剣保存会)に「終戦直後の刀の法制度について」と題した文を掲載したが、その狙いは登録証の真の姿と戦後、日刀保の一部の指導者達によって主唱されていた刀の助命運動は、果たして正しいものであったのか。当然それらの総括も是非やらねばならないのであって、その中に大本営連絡委員会(有末機関)の浦茂氏の証言や、その先には、赤羽刀・登録証という大きな事実がある。いわば戦後の闇の部分である。

つまり何故、戦後50年も経ってから、やっと赤羽刀を強制的に処分できたのか。平成7年に議員立法される以前に、何度となく赤羽刀の処理は国会議員や、政府・官僚の間で浮かんでは消えていった経緯がある。それの大きな原因は2つある。それは、占領下における拾得物扱いである赤羽刀(ただし、この点については、文化庁も日刀保も詳しい経緯を語っていない)の所轄官庁が特定できなかったからであり、文部省・大蔵省・通産省の各々の思惑が絡んでいたからである。かなり以前、大蔵省の管轄のもとに放出ダイヤモンドなる話題があった。これは戦争中の事であり、日本政府の統治能力内でのことであったから問題はなかった。しかし、赤羽刀は占領下の日本におけることであるから、全く別次元の問題である。

 

次にもうひとつ大きな点は、今迄、殆んど語られない点である。それは議員立法された時期を考えないと理解は難しい。赤羽刀にまつわる様々の事柄に関わるのは、日刀保の故・本間順治氏(文部省出身)である。そして赤羽刀を審査した審査員の存在である。もちろん、本間氏も審査員ではあるが、多くは現場に出ていない。審査員の出勤回数は既に故・佐藤貫一氏が『刀剣美術』や故・村上孝介先生が『刀苑』に発表されている。議員立法はその本間氏と最後迄生き残っていた審査員の平井松葉氏の死去の公表の後に、急速に立法化に向けて動き出している事実がある。本間氏を含む全ての審査員(赤羽刀の集積状況と内容を実見している証人でもある)が、生存している時は、前述のように国政レベルで何度も処理案件になっていたが実現しなかった。その過程の中で、当時の参議院議員の一人から前述の昭和24年のリストが公の世に再び登場したのである。

 

私は村上先生(赤羽刀審査員)から、その選別(審査とは決して言えないような時間的な判別状況)も聞いている。赤羽兵器廠に集められた刀(約30万本)から貴金属類は全て別にされ、それが最終的には日刀保へ払い下げられたと聞いている。もしそれが本当に存在したことが事実なら、その後の処理方法は公開、公表されるべきである。しかし残念ながらそのような事にはなっていないようであり、存在そのものも村上先生の度々の詰問に対して、辻本氏はしぶしぶ認めたが、本間氏は否定するに近い立場をとり、後に辻本氏は本間氏の見解に沿った証言に変化していると聞いた。私はここで個人を攻撃するのが本意ではない。つまり、一旦闇から明るくなった、否、明るくしたのに何故にこのように、また、もとの闇に近づけるのかと言いたい。先般の国有化の折に全てを出すべきであった。何故なら今回の隠匿刀剣の管理を日刀保でやっていたのが事実だからである。例え大部分の日刀保職員が、その存在を予め知っていなくとも、少なくとも知っていた人物(学芸員)が、一人は居た事。その人物が国有化の際の選別の主要人物であるという事は、どのように書いても歪められない事実である。しかもその人物は東京都刀剣登録審査員の職にあった。法を守り、法を偏く普及させるべき地位の人が多量の無登録刀を一般に知られる事なく、また、知らせる事なく管理していたのには、開いた口が塞がらない。また、この点を衝けず不起訴(書類送検)で済ました警察もだらしない。このような管理状況ならば赤羽刀と同じく、色々と噂になるのは当然であろう。

 

さて、国有化された赤羽刀の大部分は全国の博物館等へ譲与されたが、その内の百本以上のものを私は実見した事がある。その中には既に研磨を終えて白鞘に納められたのもあったが、多くは錆のまま…刃文の匂口が見える薄錆状態のものもあったが、中には刃こぼれがひどく、刀身が異常に曲がっているのも多くあった。そして、さらに国有化直後に施したと思われる荒砥、グラインダーによる痕跡と共に、数十年前に施されたと思われる荒砥による痕跡があった。そこには既に新しい錆が発生していたものもあった。何故このような数十年以上前と思われる所作や曲がり、刃こぼれが発生するのか。刀身のみを保管していても絶対にここまでの痛みは生じない。余程の手荒い扱いがされていたとするなら、上野国立博物館地下倉庫に保管されていたとされる状況からは全く相容れない保管状態である。つまり、全くデタラメな管理に近いと云われてもしょうがないであろう。しかも一般民間人は絶対に立ち入れない場所である。

 

さらに私が書いておきたいのは、私の実見百本余の赤羽刀の中に、かなりの本数であったが、刃文の有無を調べるために酸系統の薬をつけた処理をしてあった事である。それも完全に水で酸を洗い流せば良いのに、不十分であった為、荒砥で錆を除いて光っている刀身に刃文の通りの紐状の新しい錆が付着していた。これについては譲与された側にそうした認識が甚だ少なく、“何ですかね…この異常な形の錆は…”ぐらいであったので、私は堪らずに真相を伝えて、早急に水洗いなどの処理を勧めておいた。酸による処理は間違った処理ではないが、後日、刀身に及ぼす甚大な悪影響を考えて、もっと完全に処置、伝言する、あるいは酸系統の薬品を使用しない処置をするべきではなかっただろうか。もっとも、全国の博物館に譲与する実際の手続は、刀を知らない役人が仕事としてするのだから起こって当たり前の事ではあるが、それにしても不親切極まる暴挙に近い。

 

とにかく、今回の日刀保内での赤羽刀隠匿事件の捜査には何となく別目的があったと思われるが違法なことは明白な事実である。司法取引的な事はやめて、厳正なる法的処置をするべきであったと思うのは私一人であろうか。しかし、これで戦後の闇がまたひとつ、姿を変えて表われてくるのかという思いがする。
(文責 中原信夫)

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