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INTELLIGENCE

♯ 写物の定義

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

刀剣小道具の世界では、よく“写物(うつしもの)”という用語が使われる。この写物という本当の意味を、あまりよく理解していないように思われるので拙文を綴っておく。

 

“写”とは古い作である本歌(ほんか・本科)を忠実に真似るのであるが、これが仲々出来ないのである。したがって忠実に真似るためには、自分の個性をすべて殺し(無くし)てしまう事が大前提となる。したがって技術面のみを追求するこのプロセス(過程)が自分の技倆・技術・感覚向上に役立つのであり、このプロセスのみが一番大事であり、結果はその次である。

自分より古い作品をどれだけ上手に真似ても、同じ物は絶対に出来ない。これが出来るなら美術品の鑑定は不可能になる。つまり、古い作の持っている雰囲気というか、経年数による何かがあって、経年数(時間)を人間は超えられないということでもある。

 

かなり以前、某刀工が鎌倉時代の地鉄を超える地鉄を自家製鉄で作ったと新聞に発表したが、700年前の時間を超越することは、人間には不可能である。たとえ700年前の地鉄とその刀工の作った地鉄が一緒にしても、古い700年前の地鉄は700年の変化をして現在の顔を見せている。だから、今見る事の出来る地鉄が700年前のそれとは絶対に同じではないはず。勝手に自画自賛するのは別に構わないのだが、もっと別の表現や訴え方があったと思う。

 

さて、写物というか“写”という概念をよく理解していただくために、エピソードを一つ。

私の師・村上孝介先生は、風貌が先年亡くなった芸能人の坂上二郎(コント55号)によく似ていた。その村上先生が昭和45年に大阪の千里で開催された『万国博覧会』を見学に行かれた折、会場入口の係員から「今日はおしのびですか・・・」と言われたそうである。普通なら、当時有名な芸能人に間違えられたら、悪い気分はしないものだが、村上先生は立腹された由。その理由は簡単である。村上先生曰く。「俺は坂上二郎よりずっと年上であるから、俺が坂上二郎に似たのではなく、坂上二郎が俺に似たのである・・・」という事であった。

 

村上先生を本科とみるか、坂上二郎を本科とみるかであるが、これは村上先生が本科で、坂上二郎が写物とみるのが正解という理屈になる。

つまり、新しい工人が、自分より古い工人の作を真似る。これが写物であって、その逆は絶対に成立しない。したがって、新刀は古刀の写物を作れるが、新々刀の写物は製作できない。この簡単な理屈をぜひ考え直してほしい。

また、刀や小道具に限らず、書、絵画、焼物にしても写物は必ずその周囲に派生するものであるから、当然ではあるが写物と偽物との違いは、作る工人と、愛好者と、流通させる業者の意識の違いによるのみである。
(文責 中原信夫)

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