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INTELLIGENCE

♯ 原稿用紙

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

私が刀苑社勤務時代に実際見た事であって、殆んど知られていないのが、『刀苑』誌に寄稿される先生?達の原稿である。村上孝介先生は原稿用紙を使用されていたが、マス目の中以外にも書入れが割に多くあったが、これと全く正反対に完璧な原稿を寄せていただいたのが福永酔劍先生であった。

すべての文章がマス目以外にはみ出す事もなく、追加書入れも全くといってない。しかも、活字の大きさ、字体、そしてルビ(振仮名)も、しかも改行を必ず指示したもので完全であった。したがって、印刷会社とすれば願ってもない原稿であって、すぐに頁数が算出されて初校(最初の校正)の割付の手間も少なかった。福永先生は昭和三十二・三年頃から、日本刀剣保存会の『刀剣と歴史』の編集をやっておられた事も知る人が少なくなったが、そのために印刷に関しても詳しかったと思われる。

 

私はその福永先生の原稿を手本にしていたが何のことはない、見事に師匠に近づいて、さらに師匠を通り越した奔放極まる原稿を書くのがクセになり、三協美術印刷の二代目社長菅生光男さんから「もう好きな様に書いてください。任せますから・・・」と言われるハメになってしまった。

印刷会社としてはいくら雑誌にしても、まして単行本ならそれなりの印刷上の体裁がある。私はそれを無視して、キレイな頁の使い方を捨て、余白の所が出たら必ずそこに何かを目一杯書き加える。そして、判の大きさギリギリまで押型・写真・文字を追い込んでしまう合理主義をとってきた。しかし、菅生社長はじめ、職工の皆さんも殆んど顔なじみであって、私の欲する技術的な仕上りと印刷をしていただいたのには頭が下がる。

因みに、『刀苑』誌の原稿について言うなら、失礼極まる原稿を毎回、平気で村上先生へ送ってきたのが小道具のW氏であった。新聞広告ビラの裏にコピーの部分を貼付けたりしたもので、人格を疑う様な代物であった。原稿にも、それを書く人の人格が出てくるというか、にじみ出てくるようで、それにしても福永先生は完璧であった。

 

その福永先生も『とうえん』誌に毎回寄稿していただいていたが、もう平成に入った頃、原稿に何の指定もなく付箋に「ここからは、中原君に任せますから」とあった。また、文章にしても私に任せて、説明文を書いてくださいとのものもあった。私は今でも、福永先生が私を信頼していただいたという感が強いし、また、福永先生の体力と気力の衰えが悲しかったのを憶えている。
(文責・中原信夫)

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