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INTELLIGENCE

♯ 仏像

Copywritting by Nobuo Nakahara

七月に入ってすぐの頃、テレビを見ていたら全国各地で寺の仏像が盗難にあっているのが多発しているという。この原因は無住の寺が多くなり、管理ができないからという大きな社会現象があるという。

仏像の盗難を防止するべく考え出されたのが3Dプリンターで作られた「本物そっくりコピー仏像」であり、それを無住寺に安置して、本物は然るべき博物館や美術館に預けるという。

 

私は古い美術品は大好きであるが。仏像・仏具は絶対に愛好しない。それらは信仰の対象であって、美術品であっても別次元のもの。

“ありがたい”仏様は博物館へ入り、そのコピーが寺にある。ならば博物館へ行ってお参りしなければ・・・。コピーでは“おかげ”も少なくなる?・・・。こんな無信心はいけないが、コピーでも私はいいと思う。なぜなら、それは信仰の一つの方便としての仏像であって、仏像そのものが「ありがたい」のではない。仏像を通して目に見えない世界「神」「仏」に信仰心をもつ(帰依する)からで、仏像の形はあくまでも方便である。人間の目に見えない存在「神」「仏」の化身の一つとして製作されたのが仏像であるからと思っている。

 

さて、この仏像の盗難は今に始まった事ではない。明治の廃仏毀釈令によって、どれだけの仏像・教典はじめ美術品が外国へいったか。もちろん、非合法での手段もあろうが、大方はお金で売ったという事。御本尊を売るのだからその他の寺宝や奉納品は朝飯前。そうでなければアメリカの美術館に多くの古い仏像などがあるはずもない。そういう事を明治に入って日本はやったのである。太平洋戦争でヤンキー兵達が持ち去ったものなど、廃仏毀釈に比べれば微々たるもの。刀についても同じである。

 

私の知人である古美術商は、常々仏像を商売する時は「買いの室町、売りの鎌倉」という名(迷)言を教えてくれた。つまり、仏像を買入れる時は室町時代の作として買い、第三者に売る時は鎌倉時代の仏像としての価格で売るということである。仏像も高価に取引されればどこかで大事に保存されるはず。

むしろ、ぞんざいに取扱われていくよりもベストではなくベターかも。もっとも、博物館も昔からあまりアテにはならない?・・・。
(文責・中原信夫 平成二十七年八月)

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