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INTELLIGENCE

♯ 文化庁の御役人

Copywritting by Nobuo Nakahara

 

今を去ること40年前(昭和五十三年秋)、私は文化庁を訪れたというか、呼出を受けたので出向いた。その時は当時の刀苑社の幹部役員・神山勇氏のお伴であった。

昭和四十九年頃から刀苑社主幹・村上孝介先生は刀苑社の社団法人化に向けて文化庁に願書を提出されていた。特に昭和49年3月末に村上先生は(財)日本美術刀剣保存協会(以下日刀保)創立以来の理事・常任審査員を辞された後、急速に社団法人へ向けて進まれた。したがって、昭和五十三年夏の村上先生死去に至るまで文化庁の担当役人の指摘などを順次改善し、法人許可を待っておられたが、遂に許可は降りなかった。それで、村上先生没後もこの法人化を進めるのか否かを文化庁は迫ってきたので、神山氏が刀苑社の理事会での結論を、つまり法人化願の取下を、この日に担当役人に伝えたのであった。話はここまでであるが、それから後がいけなかった。

 

法人化願の取下を神山氏から伝えると、担当役人が即座に言い放った。「おたくを認可すると、方々から雨後の筍のように願が出るからね。それでは困るんだよ・・・」の文言。私は当時28歳であったので、瞬間的に頭にきた。それを察知された神山氏が私の体をチョッと触れられた。つまり、“私に手を出すな”ということであった。神山氏がそこにおられなければ私はその担当役人を殴っていた。

それには理由がある。願書を提出するたびに役人から、文言がどうの、銀行預金の額がどうの、基本財産(主に文献等)の価値を示せと必要事項の訂正と新たな要求を言ってきて、それらを直すと、後は検討しますの一言。暫くして文化庁に村上先生が行って意向をただすと、さらにまた訂正個所や不備な点と称して条件を付けてくる。これが続いていた。しかし、文部大臣経験者数人を通して、今流行の忖度をお願いしていたが、果してそれが功を奏したかは?である。結果的になかった事にはなるが。つまり、文化庁としての本音は許可したくないし、最初から不許可にするつもり。

私が頭にきたのは、最初から許可しない方針なのだから、最初からそう言えばすむ。延々と時間を引き延ばしていけば、そのうちあきらめるだろう。そうすると役所に落度はなくなる。それを狙っていたはず。つまり、願書を提出したから一応は受付てやらすだけやらせ、文句をつけるだけつけ、揚句の果てには“雨後の筍”ときた。

私達国民の税金で国の役人は給料をもらっている。なのに国民には役人を選んだり、リコールしたりする権利はない。政治家は選挙で落せば良いが、国の役人にはそれをやる制度がない。

 

私は提案したい。各省庁の事務次官(トップ)を国政選挙の折に国民に審判をさせる制度を作りたい。最高裁判事のあれと同じ。そうすれば役人がどちらの方を向くかほんの少しは改善出来る。審判で×となれば(一定以上の×をもらえば)罷免そして退職金は没収。以前の“ゆとり教育”も同じ。明らかに絵に描いた餅以下の政策。他にやることはないのかと言いたい。このリコール制を導入すれば新しくまともな行政はしないで唯々、可もなく不可もない前と同じ事しかやらなくなるだろう。しょうがない人種だねー。ロボットよりタチが悪い。かくも優秀な日本民族の御役人がこれだから、他国の役人は・・・。

それともう一つ。なぜ文化庁の御役人がこの様な方針なのかである。お役人の権限でのみ行政は出来ない。基本的に役人は政治家の決めた方針に従うのみである。ただ、分野各々での必要なアドバイスをしなければいけない。したがって、政治家は優れた政治政策立案をしなければならないが、素人のお偉いさんになっているのが多い。いきおい御役人の知恵を借りる。すると主客転倒した事になり、御役人が一番の権力を持ってしまう結果になる。国会答弁をみても政治家大臣の無能さがよく出ている。

 

では文化庁はなぜ最初から不許可なのか。考えてもみなさい。以前から、例えば人間国宝指定にしても刀剣分野で誰に意見を求めますか。必ず当時の権威者とされた日刀保の〇〇氏であり、某刀工の指定では、その〇〇氏がどういう言訳の文言で指定するかと頭をひねっていたよと村上先生が笑っていた。この刀工でないと出来ない○杉肌の唯一の製作者である事として、それで指定理由をつけ、文化庁はそれを丸呑したという。

わかりますね。文化庁の役人など刀など全くわからないのに、最初から日刀保以外の法人設立の不許可や人間国宝指定を言い出す。ならばその不許可や人間国宝指定の人選の意向がどこからきたのか、日刀保の〇〇氏である。元々、〇〇氏は文部省出身の御役人である。

 

今回話題になったM文部次官もよくも正義面してマスコミに出てきたと思う。行政を歪めたなどとは口が裂けても言えない。全て自分達で勝手放題にやってきて歪めていたくせに。最初から御役人が立派に歪めている。しかし、それをうまく隠して見えないようにして、結局そのツケは国民が払うことになっているのに国民は気付かない。

文化庁のある役人がM次官の言い分を弁護して「今回の様に行政が歪められたなら組織への忠誠心がなくなった」とマスコミに言ったが、組織とは何を指すのか、役所のことなら全く間違っている。忠誠を尽くすのは国民に対してであろう。もうこの一言でボケているし、国民をナメている。元々、忠誠心なんてものは御役人にはあるのかと言いたい。

禁止された「天下り」を堂々とやっていたのはどうなるのか。まさに、自分勝手でやりたい放題。これでよくもマスコミに登場出来たものである。マスコミも低次元である。以前から主体性のない報道を繰り返し、旗色が悪くなれば、知らん顔を決める。次官のリコール制の設立を強く望むものである。
(文責・中原信夫)

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