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INTELLIGENCE

♯ 厄介な英語表記

Copywritting by Nobuo Nakahara

日本の文化については色々と解釈はあるようだが、例えば、日本語は、これ程便利で効率よく使いこなせる言語はない。以前、拙著『刀の鑑賞』を東京の講談社インターナショナル(現在は単に講談社)が英訳版にして刊行したが、その英訳の折に、翻訳者と私の間で厳しいやり取りがあった。

その前に日本の書籍は右から左へ頁数が移るが、外国書籍は反対である。これは何とか我慢は出来る。ただ、最近は日本の書籍でもこの外国方式の書籍があるので、私としては何を考えているのか?である。結果的に何でも外国方式が良いなどというような考え方は明治以後の悪いクセである。

 

日本語は漢字、仮名、片仮名あり、しかも一文字一文字が単独で組み合わせられるので極めて便利である。しかし、英語は一つの名詞、例えば「朝」という日本語を英訳すると「MORNING」となり、この7文字を途中で切って3文字、4文字の印刷はしないようである。つまりその結果、スペース(行数)が多くなってしまい、無駄なのである。また、日本語はタテ、ヨコに言葉・文字を組むことは容易であるが、英語はタテには配列(組む)することは出来ない。ただし、日本語の途中には部分的には可能。

 

さて、刀の本だと押型や写真の説明は、英語では横にしか出来ないのであるが、日本語だと写真・押型の左右、上下にタテにもヨコにも組める。私の既刊の著書では全てこの方式で、版の大きさギリギリ一杯まで日本語と押型を詰め込んで、一頁を最大限有効に使い、頁数を切り詰めてきた。私がいつも同じ印刷所に印刷をお願いするのは、こうした私の考え方を十分に理解して、私の意向に沿った本作りをやらせてもらったのであって、これは結果的に言えば印刷会社は“もうけ”られにくかった仕事であるとも言える。

本は内容であって、見栄えや単なる豪華さではない。最近の押型本も一本の刀の押型を一頁にあててしまう例が多く、余白部がかなり多くみられ、その結果頁数が多くなる。一頁に2本の押型を収められる様に押型を工夫すれば済むこと。しかも、押型にかける網版も押型を切り抜き方式にしているし、小道具写真も外形を切り取っている。押型にしても、鐔の形にしても微妙な線があるので、いくらコンピュータ制御で昔とは違うとはいっても私にはどうしてわざわざ手間がかかる方法を採用した揚句に、無駄な費用を使っているのか理解出来ない。刀なら中心と物打辺の押型を大きく四角形の版の中に入れて、その版全体を網版でやれば微妙なカーブを切り取る必要もないのである。

 

それにしても英語は厄介である。最も、私は英語をほとんど話せないので、こんなことを言うと、ヤッカミと言われるだろうが・・・。日本の文化、殊に江戸時代が終わる迄は、極めて合理的であり、高水準であった事を認識すべきである。

日本人はもっと自国の文化を評価し、活用すべきであろう。
(文責・中原信夫)

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