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INTELLIGENCE

♯ 余り触れたがらない話

Copywritting by Nobuo Nakahara

私が機関誌『とうえん』を刊行していた時の話であるが、知人から「日刀保の鈴木嘉定氏が君に会いたい・・・」と言ってきたという申越。私の知人も、またその知人からの依頼であった由。私は自分で鈴木嘉定氏に連絡を取る旨を確約し、そして数日後に、日刀保を訪れて、鈴木嘉定氏に面会した。

その折は私の『とうえん』に掲載された記事内容についてであったが、その記事は私のペンネームで書いたものであった。私は、このペンネームは私ですが、ペンネームであろうと実名であろうと私の責任の及ぶ機関誌で、尚かつ私が自身のペンネームで書いたものであり、全て私の責任であると明確に鈴木嘉定氏に伝えた。

 

鈴木氏の申越は、当時日刀保が小道具(金工)で無鑑査にした大阪の阪井俊政氏について、私が批判をしたので、その件について、鈴木氏は「日刀保が阪井氏を無鑑査にしたのには色々と狙いがあったからであり、私の批判はよくわかるが、日刀保の考え方も理解してくれ」との事。私は鈴木氏に、「日刀保の考え方には理解はしませんが、了解はします」と答えた。

 

日刀保の狙いとは何か・・・それは多くの偽作の張本人とされる阪井氏の色々な事情を日刀保は把握している。そこで、その阪井氏を無鑑査にしたら本人も少しは悔い改めると考え、以後、偽作という悪業に手を染めないであろうと期待しての話。

私は、その考え方は極めて甘すぎると、鈴木氏にも話をした結果、「理解はしないが、了解はする」と答えた。以後、鈴木氏とは何回もお目にかかる事もあり、その度に日刀保事務室の奥の部屋(仕切やドアもない)で何かと話をお伺いした。両者共に地声が大きすぎたので、二人の話の内容は事務室には筒抜けになっていたと思われるが、二人共別に悪い話をしているのではないから、聞こえても、聞かれても全く意に介さぬという態であった。

 

私は、日刀保のこれまでの歴史からいうと、創立当時からパラサイトしていた役人あがりの人間が会長を務めた時代や、欲ボケの政治家が長く会長を務め過ぎた。その結果、鈴木氏の登場が遅れたということになる。その最大の原因(隠れた原因)は他にあるが・・・。しかし、鈴木氏はある意味で日刀保を一時的に立て直した。

こんなエピソードを鈴木氏から聞いた。専務理事になった頃、学芸員の一部が昼前になっても出勤しない。そこで、午前9時30分前には鈴木氏が日刀保の入口に立ち、さらにタイムカードを導入してその勤務時間を管理したという事であった。

しかし、こんな学芸員なら、会社ならすぐにクビである。

それにしても鈴木氏は、ある意味で日刀保への貢献者であるという事になる。
(文責・中原信夫)

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