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太刀・刀 “うもれし”一振

萬歳源直吉造之(刻印:スケカハ) 安政三辰年八月吉日於常陸國

商品番号 : B-107-U-278

江戸後期 常陸 保存刀剣 白鞘・拵付

売約済

刃長:64.2 cm 反:1.52 cm 重ね:0.58 cm 元幅:2.72 cm 先幅:1.86 cm 重さ:495 g 目釘孔:1つ

体配
本造、庵棟、生中心、鑢目は化粧に筋違。
地肌
小板目肌、良く詰んで無地風となる。鎬地は密に詰んだ柾目。
刃文
焼幅広く沸本位の小五の目乱に所々尖刃が交じる。匂口はふっくらと深く、谷から延びる小足が元から先まで頻りに所作する。
鋩子
直調に入ってそのまま焼詰風となる。
萬歳源直吉造之 安政三辰年八月吉日於常陸國

細めの身幅に重ねは2分弱、重さも片手でラクラク。同サイズの刀に比して、これほどスマートな姿はちょっと珍しく感じるほどです。切先に多少の研減が見られるものの、鎺元の重ねは健全ですから、研減ってこの姿になったのではありません。切先以外、最初からこの体配です。長脇指と使うにしてもあまりにも貧弱な体配で実用的とは思えません。なら、この姿に作ったのには何らかの理由があるはずです。高齢の侍からの依頼? 高身分の侍から注文(拵に入れてしまえば中身が見えないので帯刀が楽)? 稚児刀の大?・・・可能性として高いのは稚児刀でしょうか。でも老齢の侍も有りといえば有り。まさか女性用?(ないと思います!) こんな本作、時代は幕末ですが軍刀ならぬサーベルとしたら違和感がありません。しかし本刀の作者・直吉は興味深い立ち位置の刀工。直吉は水戸徳川家の家老・山野辺義観の家臣。その山野辺義観は藩主である徳川斉昭に海防総司に任命されるのです。・・・どうです、繋がりませんか? 海軍の士官(侍)が持つ軍刀用として本作が作られたとしたら、この体配に納得がいくように思えるのです(飛躍しすぎでしょうか?)。まあ、どれが理由にせよ、特注品であることに変わりありません。因みに、銘の最下部にある「スケカハ」という刻印は、山野辺義観が徳川斉昭に命じられて築城し居城とした助川城(現在の日立市助川)があった場所のことです。その刻印がある中心ですが、形状が雉子股形となっています。これもまた珍しいです。本作以外の直吉作でも類例があり、やはりその刀も中心が雉子股形・・・これが直吉の通常の中心形なのか、それともこの二振、あるいは一時期だけのかは直吉の作が少なくわかりません(どなたかご存知の方はご教示ください)。

姿・体配は先に述べたように細身でやや反があり、江戸後期・幕末あたりの刀姿と比べることはできませんが、強いて言えば長運斎綱俊の刀をそのまま縮小薄くした感じ(あくまで感じ)です。そのスマートな姿に小足が盛んに所作する小五の目乱を焼上げています。焼き始めあたりに箱風の所作があり、表裏にあることから意図的に焼いたものでしょう。匂口は沸本位でふっくらと深く、丁子風の小足が激しく延びて見所が多い所作で古備前風の趣があり、この辺は師である大慶直胤から伝授された備前伝を色濃く示しているのかもしれません。
拵は黒絽塗の鞘、柄前の縁は四分一の磨地(無銘)、頭は角製、目貫は赤銅地(色絵のない無赤銅)で二匹馬の図、鐔も無紋で赤銅磨地(小柄・笄櫃孔は金色絵の責金で埋)・・・小道具類はすべて江戸後期の作を使用した殿中指です。鞘も古く思えますが、幕末があるかはわかりません。ただ、柄の鮫皮にある親粒ですが、これは「なんちゃって親粒の入れ子」ではなく生の親粒かもしれません(期待大)。

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