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太刀・刀

阿州住吉川祐芳 慶応三年二月日

商品番号 : B-108-261

江戸後期(幕末) 阿波 特別保存刀剣 白鞘・拵付

売約済

刃長:70.5 cm 反:1.00 cm 重ね:0.80 cm 元幅:3.30 cm 先幅:2.32 cm 重さ:881 g 目釘孔:1つ

体配
本造、庵棟、生中心、鑢目は化粧に大筋違。
地肌
板目肌に杢目交じり、良く詰み少し肌立ち心に所々大肌になる。鎬地は柾心に流れる。
刃文
焼幅頃合いに大小の五の目丁子が複数で1セットとなりそれが連続する。匂出来の匂口は締って刃縁が冴え、小沸がついて足も入る。鎺元上にやや長め、上の方に小さな棟焼がある。
鋩子
直調に入って小丸となり、深く返って寄る。
阿州住吉川祐芳 慶応三年二月日

緩い波のうねりを思わせる刃取とは裏腹に、締った五の目の匂口は小刻みに揺れる波間のようです。少し大きな五の目と小振りな五の目が数個連なり一つのパターンを構成し、それが刃取の孤に沿って繰り返し刃縁は冴え渡ります。指裏の下の方に小沸が厚くついた個所があり、五の目の谷から足も出て総体に上出来の一振。刃文の印象は虎徹の数珠刃のようでもあり固山宗次の五の目に似てなくもあり・・・まあ、誰かに似てるというより備前伝の五の目を焼いたということで良しとしてください。 体配は身幅がかなり広く重ねも厚い豪壮な造。反少なく元先に差があって延び心の中切先、幕末頃の姿より寛文新刀に近い気がします。。そこに頃合いというよりやや狭く感じる焼幅は古風な感じも受けますが、大坂焼出風の所作から始まる表裏揃った刃文を焼いています。鋩子も乱込まず、直に入って小丸に返っています。ここまでくると、もはや寛文新刀の写でしょうか・・・話を蒸し返すわけではありませんが、写とすれば誰でしょう? やはり師匠である横山祐永の新刀備前系統を考えれば、祐永も含め横山一派の誰かとするのが自然かもしれません。姿は七兵衛尉祐定、刃文は祐永なんてことも妄想できます。
作者の吉川祐芳は阿波の出身で、備前の末裔・横山祐永の門人です。本刀はそこで身につけた新刀期における備前伝の五の目ですから、横山一派独特の俗に言う菊花丁子を焼いたものでしょう。独特と言う点ではもう一つ本刀の見所があります。地肌の鍛です。杢目が交じった板目は大肌になる個所もあり、複雑な模様をくっきりと描きながら太い地景となって楽しませてくれます。一見、崩れた綾杉風の肌にも見え、肌物の類ともとれる地肌が印象的です。賑やかな地肌のキャンバスに独特の菊花丁子が調和した本刀、見方によれば華やかな一振りとも言えます。

因みに本刀の銘は太刀銘ですが、祐芳には刀銘も太刀銘も混在していて刻り分けははっきりしません。太刀銘は注文打かもしれませんね。蛇足ですが、祐芳は結構有名な刀工のようで、新選組隊長近藤勇が最後まで共にした刀の作者が祐芳なのです。なるほど、注目されるわけです。近藤勇のことですから斬味にこだわって祐芳を使った? 愛刀とした理由はともあれ、祐芳の作は当時にしてみれば現代刀・・・ペラペラの古刀や研減った新刀を使うより、健全で豪壮な祐芳の刀を選ぶのは必然です。なにせ、自分の命を託す刀ですから。
拵は幕末期頃の打刀拵。鞘は石目模様の茶漆塗に途中から黒漆塗の縞模様、栗型は角製、縁頭・鯉口・鐺は鉄地に銀色絵の瓜図を描き、周縁に金色絵を施した一作物です。目貫は赤銅に総金色絵の鳳凰図、幕末期に流行った大型の目貫です。鐔は入木瓜形で鉄地に大切羽風の模様と草花・鳥・波・雲などを鋤出彫にした応仁風というか甲冑師風のデザインです。

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