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太刀・刀

備前国長舩〼〼〼〼門尉春光作 永禄五年十一月吉日

商品番号 : B-115-S-283

江戸初期 筑前 特別保存刀剣 白鞘

売約済

刃長:71.4 cm 反:2.12 cm 重ね:0.65 cm 元幅:2.98 cm 先幅:2.26 cm 重さ:745 g 目釘孔:2つ(内1つ埋)

体配
本造、庵棟、生中心、鑢目は切。
地肌
小板目肌に板目交じり、よく詰み杢目も交じる。やや肌立ち心に鎬地と刃寄りは流れ心になり、移が出る。
刃文
焼幅広く、小沸出来の腰の開いた五の目に丁子乱。匂口はやや締り心にふっくらとし、肌目に沿って解れ気味の個所があり、細かな匂崩、小さい飛焼もある。
鋩子
本刃がそのまま入り火炎風となって、崩れ気味に深く返る。
備前国長舩〼〼〼〼門尉春光作 永禄五年十一月吉日

長さが二尺三寸五分強ある永禄年紀の本刀。室町後期の末古刀もこの時期になると、二尺ちょっとの片手打の姿から新刀最初期の打刀に類似する姿になってきます。いえ、正確には新刀期(江戸最初期)の刀が室町末期の姿を引き継いていると捉えるのが正解です。末古刀の方が新刀より古いのですから・・・本当の姿は元先に差がなく反があり、切先は延び心の中切先、それでいて片手打のような腰反。中心にも反がつき思ったより上品というか総体に古風な姿に映ります。手にすると長さの割に軽く感じるのは利刀造風の体配になっているからで、やや鎬が高く鎬幅も狭く造込まれています。
地肌は小板目基調に板目と杢目が交じって、やや肌立った感じがしながらも細かくよく詰んでいます。総体に流れ心の肌目で目立った疵はありません。この肌も新刀最初期の肌合いに近い感じもします。その事とは別に、真偽は不明ですが当期の長舩祐定系とはまた違った鉄質の材料を使っていた可能性があるのかもしれません。というのは、天正期前後の室町最末期に当たる備前刀には、移が出ないと言われていますが、本刀には乱移が出ているのです。もちろん、備前刀と言っても流派や刀工によって作刀方法やプロセスは異なりますから、祐定や勝光・清光には出なくとも、本刀の春光には出ると言ってしまえばそれまでです。他の春光の刀にも移がある作例があるようです。・・・これは春光の作刀ノウハウによるものなのか、それとも元々の原材料が違っているのか・・・とはいえ、他の長舩刀工にも移のある作例はあるはずです。・・・そう考えて、よくよく冷静にみれば、この移話は不毛の論議!(自ら支離滅裂な幕引きに・・・ご容赦ください)

そんなこんなで何が言いたいのか曖昧になってしまいましたが、その古風な風合いの地肌に焼かれた刃文もまたちょっと古風というか・・・刃取は小乱風の腰の開いた五の目ですが、灯にかざした匂口は様相が一変します。細かく間隔の狭い五の目丁子乱が元から先まで激しく躍動します。もちろん、末備前特有の匂崩が頻りに現れ、平地には小さな飛焼も所作します。締まり心の匂口は柔らかく刃縁が冴え、叢沸や荒沸のこぼれもなく上出来の焼きです。写物とはいえませんが、応永の康光あたり、その後の則光を倣ったものかもしれません。不本意にも評価の低い天正期の末備前刀工達ですが、この出来を見せる春光を含め、もっと評価して注目してほしいものです。少なくとも個銘ではなく各々の刀に対しての評価があってしまるべきかと。
ところで、この俗名入り春光ですが、本刀の中心が少し朽込んでよく判別できません。春光は元々現存刀が少ないと言われながら、紹介されてきた刀は十郎左衛門尉春光ばかり。特に俗銘のないものに限って十郎左衛門尉だと紹介されています。いくら春光の中では十郎左衛門尉が筆頭扱いとは言え、確証もなく大きく出るのは感心しません(偉そうに言ってすみません)。本刀の見えない銘は、「十」とも「五」とも見え、不明確です。まあ、十郎左衛門尉でも五左衛門尉だとしても、俗銘の有る無しに関わらず刀の出来を評したいものです。

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