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刀
出雲守藤原吉武法哲入道作之 天和二年八月吉日
商品番号 : B-117-291
江戸前期 山城/武蔵 特別保存刀剣 白鞘・拵付
1,500,000円
刃長:68.5 cm 反:2.27 cm 重ね:0.72 cm 元幅:3.30 cm 先幅:2.37 cm 重さ:688 g 目釘孔:2つ
- 体配
- 本造、庵棟、生中心、鑢目は化粧に筋違。表裏に棒樋を鎺元上で丸留。
- 地肌
- 板目肌に杢目交じり、良く詰み精美な肌となる。やや肌立ち心に鎺元が流れて地景が現れる、鎬地は柾目心。
- 刃文
- 焼幅広く、沸本位で複数の五の目丁子と直調の刃が一組となって繰り返す。匂口はふっくらと深く、ほつれた丁子の足、匂崩が所作する。
- 鋩子
- やや乱れて入り、先が表は地蔵風、裏は小丸となってやや浅く返る。
出雲守藤原吉武は山城の堀川一門であった堀川国武の子、結構名の知れた刀工です。まあ、皆さんの方が良くご存知でしょう。最初は山城で作刀し、後に江戸に移っています。吉武は三代まで続きますが、本刀は中心に初代が晩年に名乗った「法哲入道」と刻られていますから初代の作で、江戸に移ってから作刀した一振であることは明白です。その吉武ですが、江戸では法城寺一派と交流があったとされているようで、本刀の作域にも交流の影響が現れているのか、興味のあるところです。
姿は寛文・延宝頃といより反が深めであることを踏まえれば元禄頃の姿に近い感じがします。確かに年紀は天和ですから元禄は目の前の時期、刀姿の変化を感じます。刃文は匂口が深くふっくらと拡がり、表裏の形状が揃った新刀特伝そのもの、まさに“見せる刀”の刃文です。これでもかと言わんばかりに意図的で、4〜5つぐらいの五の目の後に直調の刃が1組となって、そのパターンが鎺元から先まで整然と続きます。匂口の幅(高さ)もほとんど一定の範囲内に収まっていますが、型を使った土置のよる形状にはみえません。五の目のそれぞれの山と谷の形状が一様ではなく、パターンの中にも変化と動きが感じられます。この五の目の形状が法城寺一派の影響なのでしょうか。確かに揃った五の目が似てなくはありません。私見ですが、五の目の頭が丸みがあって厳つくなく、かつ、ちょっと不揃いなところなどは、どちらかといえば同じく法城寺一派に影響されたと言われる虎徹の数珠刃に近い感じもします。じゃー、元々の作域である堀川一派の特徴は消えてしまったのか、それとも江戸に移って進化したとはいえ、受け継いだ特徴はどっかに出ているのか・・・鍛がその答えなのかもしれません。流れ心の肌立った板目肌、特に鎺元あたりが大肌に所作した感じは堀川一門の肌を連想させます。沸本位の深みのある匂口も・・・とはいえ、どれもが曖昧で根拠の薄い一般的な特徴ばかりなので、断定できるほどの推論ではありません。ま、要するに、堀川の技術を携え江戸に出て、そこで新しい技術と出会い、吉武独自の作域を作り上げた・・・そのオリジナリティが反映されたのが本刀と考えればいいわけです。
こじつけはここまで・・・改めて本刀を眺めても、この太い足を伴った深い匂口は見事な出来です。五の目には虻の目風の匂崩もあって実にユニーク。しかし沸崩や叢沸はなく上出来の一振です。吉武は上手いのですね、思い知らされました。
本刀の拵は幕末期はある古いものです。鞘は濃茶色に雲の文様を粗い線で刻み、鐺は肥後風で鉄地に金色絵の桐が描かれています。柄前の縁頭はやはり肥後風で、鉄地に銀色絵で、紋章?と蔓をシンメトリー的に描いたもの。柄下地に巻いたのは鮫皮ではなく、花と葉をモチーフに描いた皮を貼り、柄巻は紙縒に漆を塗ったもので独特な風合いを持っています。小さめの目貫は赤銅地で虎豹図、そして鐔は鉄地の桐(投げ桐?)の図の地透。総体にかなり渋さのある拵です。