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脇指 “うもれし”一振

脇指

藤原辻村景平造

商品番号 :C-029-149

江戸初期 加賀 特別貴重刀剣 白鞘

売約済

刃長:38.8 cm 反り:0.9 cm 重ね:0.71 cm

体配
本造、庵棟、中心は生で孔は一つ、鑢目は切。
地肌
小板目良く詰み澄んだ肌となり、鎬地は柾心に流れる。指面の鎺元上が少し肌立つ。
刃文
焼幅尋常に、小沸出来のゆったりとした弯乱。匂口はほつれ気味に沸づき、途中食い違い刃風の所作が出る。
鋩子
直状に入り小丸となってやや浅く返る。
備考
ゆったりとした弯刄としましたが、背が低く腰の開いた五の目を縦方向に引き伸ばしたような刃文です。頭は尖り気味のところがあって少し厳つい感じもしますが、匂口はほつれ気味に沸づいて思いのほか深く、表面から姿を見た以上に柔らかくふっくらとしています。途中、二重刃風の縦の所作がみられ、決して意図的に焼いた所作ではなく、ありのまま、ごく自然に出ました、という感じです。見せる刀というより使う刀の感が強い本脇指という気がします。長さは1尺3寸弱・・・小脇指という言葉を地でいくコンパクトな姿ながら本造で反があり、狭い部屋の中では使い易い実戦刀だったと想像します。
本脇指が作られたのは寛永の頃、まだまだ平穏とはいかない時代。景平は越中守高平(初代兼若)の子で、二代兼若を継がず、四郎右衛門を名乗って師匠であり父の初代兼若の作刀(代打も?)を助けたとありますから、実戦向きの造込をしていたのは必然です。後代になるに従って見せる刀に変遷していくのもまた流れで、三代兼若あたりからその傾向は顕著です。「初代兼若にだって箱乱の作があるじゃないか・・・」というご意見もありますが、それはそれ。後代の箱がかった濤欄刄とは一緒にできないと思っています(苦しい言い訳で逃げます)。ともあれ、本脇指が箱乱ではなかったことで、兼若ではなく「景平」の存在を強く印象付けることになっていると、解釈したいものです。そして「辻村」という姓だけを敢えて横にずらして銘を刻っていることも、自分の生き方・信念を刻んでいるようにも思えてきます。・・・そういえば、「辻村」の姓が刻られた位置は中心の真ん中、鎬筋の真上に・・・この推測は、当たっているかも・・・。

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