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脇指

脇指

伯耆國倉吉住見田助義廣賀

商品番号 : C-072-285

江戸初期 伯耆 保存刀剣 白鞘

売約済

刃長:57.2 cm 反:1.00 cm 重ね:0.72 cm 元幅:3.00 cm 先幅:2.09 cm 重さ:596 g 目釘孔:1つ

体配
本造、庵棟、生中心、鑢目は勝手下。
地肌
小板目肌よく詰んで無地風となる。鎬地は柾目心に流れる。
刃文
焼幅やや広く沸本位の小五の目丁子乱。匂口はふっくらと深く、僅かに尖刃と匂崩が交じり、肌目に沿って砂流風の所作が絡む。
鋩子
直調に入り小丸となってやや浅めに返る。
伯耆國倉吉住見田助義廣賀

寛文新刀の姿をした脇指。反浅めで元先に差のある中切先の姿は、この時期の刀をそのまま縮小したかのようです。焼かれた刃文は小五の目丁子。刃取り自体は直調の弯ですが、匂口は結構細かく混み入った五の目に短めの丁子の足が激しく出て思った以上に賑やかな光景が広がっています。小沸というより沸出来のふっくらと深い匂口は、密に絡んだ綿毛のようで、その所々には肌目に沿って解れたように砂流風の所作も交え、匂崩風の所作も指表の横手筋の下に現れています。姿は別として表裏揃い気味の刃文からすると、何かの写かもしれませんね。広賀は元を辿れば相州綱広、確かに沸出来ですが刃文は古備前風にも見え、相州の鍛で備前風の刃文を焼いた?(かなり強引で曖昧な解釈)。
地肌はかなり細かく詰んだ小板目で無地風の見えるのですが、地肌の鍛は正直なもので、縦の所作が現れているということは刀身の上部刃寄りは柾心に流れているのでしょう。焼出移も見えます。ただ、上の方は鎬地にかかってしまっているのか明瞭な移は見えませんが、棒移の所作が出ているのかもしれません(部分的には確認できます)。

本脇差の作者は伯耆國倉吉住見田助義廣賀。俗銘の入った長銘ですが、裏年紀が刻られていませんので時代が気になるところです。しかし、銘から追いかけるととても難解な結果を招きます。その前に登録証に記載された「助義」は記載ミスのようで実際は助丞(烝)。丞が旧漢字(異体?)なので義と見間違えたのでしょう。そして登録証には、前の所持者が書いたと思われる文字で『見田五郎、長子「助烝」すけのじょう』との書込みがあります。そうだとすると本脇差は見田五郎左衛門尉広賀(見田家の初代:広賀は伯耆国で見田家と道祖尾家と別れる)の長男である見田助丞広賀の作となってしまいます。何が問題かって、父の郎左衛門尉は天文頃、子の助丞は永禄頃の刀工だからです。ただ、江戸の寛文頃まで続く見田家の広賀。助右衛門尉や助之丞など、助の字がついた後代がいることから本作の作者はその後代の誰かではないかと・・・そう解釈しないと、本脇差の造込との整合性が取れません。まさか室町最末期の新古境の時期とはいえ末古刀だと言い張るには、直状の鋩子の返や、ふっくらとした匂口、寛文新刀ママの姿等々、あからさまな寛文新刀の特徴を前にして弁解の余地はなく、無条件降伏あるのみです。・・・・前所持者は末古刀の広賀を信じていたのかわかりませんが、末古刀だ新刀だをあまり気にしないという方には、数少ない伯耆国見田広賀の一振をぜひ経眼していただきたいと思います。もちろん、今回の謎解きもオマケについてきます。

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